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セレクトロン管[-かん]
セレクトロン管(-かん、''Selectron tube'')はRCA社ののチームが、テレビの発明で知られるウラジミール・ツヴォルキンの指揮下で開発した初期の記憶装置である。チームは磁気コアメモリが一般化する以前にセレクトロン管の商業化に成功できず、今となっては詳細も不明である。 == 開発 == 1946年、IASマシンを設計中で新たな高速記憶装置を探していたプリンストン高等研究所のジョン・フォン・ノイマンからの依頼で、セレクトロン管開発が始まった〔Metropolis N, Rajchman, JA (1980) Early Research on Computers at RCA ''A History of Computing in the Twentieth Century'' pp 465-469, ISBN 0-12-491650-3〕。RCAは4096ビットの容量を提案し、同年末までに200本を製造する計画を立てた。しかし製造は予想していたよりも難航し、1948年中ごろになっても完成しなかった。開発の遅延に伴い、IASマシンはウィリアムス管を代替記憶装置として採用することになり、セレクトロン管の第一の顧客はいなくなった。 RCAはセレクトロン管のコンセプトは捨てず、256ビットの容量で再設計した。256ビットのセレクトロン管は、量産時には500ドルで販売することが計画された。ウィリアムス管よりも信頼性は高かったが、生産数量が少なく高価だったため、実際にこれを使ったコンピュータはランド研究所のだけであった〔Greuenberger JF (1968) ''The History of the JOHNNIAC'' pp 25-27〕。 1940年代に開発されたこういった記憶方式は全て、1950年代には、もっと小さくてコストの安い磁気コアメモリに取って代わられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セレクトロン管」の詳細全文を読む
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