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セントオーガスティン(St. Augustine)は、アメリカ合衆国フロリダ州北東部に位置する都市。セントジョンズ郡の郡庁所在地である。人口は11,592人(2000年国勢調査)。2004年のアメリカ合衆国統計局による推計では12,157人に増加している。 セントオーガスティンは1565年に創設された、全米50州に現存する都市としては最も長い歴史を持つ都市である。このような豊かな歴史的背景に加え、フロリダ州の多くの都市同様、1年を通じて温暖で、大西洋岸にビーチが広がるため、観光都市としてのセントオーガスティンの人気は高い。 ==歴史== セントオーガスティンは全米50州で最も古いヨーロッパ人の入植地である。アメリカ領全土で見ても、セントオーガスティンより長い歴史を持つのはプエルトリコの自由連合州都サンフアンのみである。同市はニューメキシコ州の州都サンタフェやバージニア州ジェームズタウンより42年も早く創設され、現在に至っている(ジェームズタウンは都市としては現存せず、遺構として残っている)。 セントオーガスティンは1565年8月28日、スペイン軍元帥、ペドロ・メネンデス・デ・アビレス(Pedro Menéndez de Avilés)によって建設された。その日がヒッポのアウグスティヌスの命日であったことから、市はこの聖人の名にちなんでサン・アグスティン(San Agustín)と名付けられた。 1586年、セントオーガスティンはイングランド人フランシス・ドレークによる攻撃を受けた。1668年には海賊に攻撃され、ほとんどの住民は殺害されてしまった。1702年と1740年にもカロライナ・ジョージア両植民地からのイギリス人による攻撃を受けるが、この時は撃退した。1740年の攻撃はジョージア植民地のジェームズ・オグレソープ(James Oglethorpe)がネイティブ・アメリカンのセミノール族(Seminole)と組んで仕掛けたもので、特に大きかった。 1763年、フレンチ・インディアン戦争でフランスが敗北すると、パリ条約によってフロリダはイギリスの統治下に置かれた。セントオーガスティンの町も同様にイギリス法の下に統治されるようになった。このため、独立戦争下ではセントオーガスティンはイギリス側の植民地であった。しかし1783年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立が承認されると、フロリダは再びスペイン領になった。スペインの統治はフロリダがアメリカ合衆国の準州になった1821年まで続いた。 1845年、フロリダ州は連邦27番目の州に昇格した。しかし1861年に南北戦争が開戦すると、フロリダは連邦から離脱し、アメリカ南部連合に加入した。連邦離脱の前日(1月7日)に州軍は連邦軍を追い出すが、同年3月11日にはセントオーガスティンは連邦軍に取り返された。以後4年間にわたる戦時下において、セントオーガスティンは連邦の占領下にあった。戦争が終結した1865年、フロリダは連邦に再加入した。 19世紀後半、「鉄道王」・「不動産王」と呼ばれる実業家ヘンリー・フラッグラー(Henry Flagler)によってセントオーガスティンに鉄道が建設された。鉄道の開通により、セントオーガスティンは富裕層のリゾート地へと変貌した。この頃に立てられた豪邸や高級ホテルは現在も残っている。これらの建物の中には、現在は別の用途に再利用されているものもある。フラッグラーは鉄道をさらに南に延伸してフロリダ東海岸の開発を進めた。フラッグラーの開発プロジェクトのひとつ、フロリダ東海岸鉄道(Florida East Coast Railway)は、1912年にキー・ウェストまでの全線が開通した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セントオーガスティン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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