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セントジョンズ砦包囲戦 : ウィキペディア日本語版
セントジョンズ砦包囲戦[せんとじょんずとりでほういせん]

セントジョンズ砦包囲戦(、砦の名称は英語でセントジョンまたはセントジョーンズ、フランス語でサンジャン)は、アメリカ独立戦争初期の大陸軍によるカナダ侵攻作戦中に、イギリスケベック植民地のセントジョンズの町と砦で行われた戦闘である。包囲戦は1775年9月17日から11月3日まで続いた。
リチャード・モントゴメリー将軍の率いる大陸軍は9月初旬に何度か侵攻に失敗した後でセントジョンズ砦を包囲した。大陸軍は兵士の発病、悪天候および兵站の問題に災いされながら、砦の中まで到達できる迫撃砲の砲台を設置した。砦の守備隊は弾薬ならば豊富にあったが、食料などの物資には不足していた。彼らはガイ・カールトン将軍の指揮下にあるモントリオールの部隊が包囲戦を挫いてくれるものと信じて防御を続けた。10月18日に近くにあったシャンブリー砦が陥落し、10月30日にはカールトンによる救援の試みが失敗した。この情報がセントジョンズ砦の守備隊に伝わり、大陸軍の新しい砲台が砦に向かって砲撃を開始したこととが組み合わさり、守備隊は11月3日に降伏を受け入れた。
セントジョンズ砦が陥落したことで大陸軍はモントリオールに進撃することが可能になり、モントリオールは11月13日に戦闘も無く陥落した。カールトン将軍はモントリオールから脱出し、大陸軍の攻撃を迎え撃つためにケベック市に向かった。
== 背景 ==
セントジョンズ砦はシャンプレーン湖の北端、リシュリュー川沿いにあり、ケベック植民地への入り口を守っていた。1775年5月にベネディクト・アーノルドイーサン・アレンタイコンデロガ砦を奪取し、セントジョンズ砦を襲ったとき、ケベック植民地を約600名の正規兵が守っており、その中には広いケベックの領土内に分散して配置されている者もいた〔Stanley, p. 29〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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