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ゼリコ・ペトロビッチ(, 1965年11月13日-)はモンテネグロ(かつてのユーゴスラビア)、ニクシッチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 ==人物== 現役時代はオランダや日本など計4カ国、7つにクラブを渡り歩いた。ポジションは主にミッドフィールダーやサイドバック。労を惜しまない豊富な運動量と、旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた〔週刊サッカーダイジェスト、2010年12月28日号、p.8-10。〕。 2003-04シーズンをもって現役を引退。フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、2006年秋にポルトガルリーグ・ボアヴィスタFC監督となるが、僅か2か月(2勝3敗1分)で解任された〔週刊サッカーマガジンNo.1321、2010年12月14日号、p.20。〕。2007-08シーズンはオランダ2部のRKCヴァールヴァイクの監督を務めるが、プレイオフの末に一部昇格を逃して辞任〔。2008年からはドイツのハンブルガーSVでコーチを務めた。 2010-11シーズンより、ウェストハム・ユナイテッドFCでアヴラム・グラント監督のアシスタントマネージャーとなったが、2010年11月23日に解任された。僅か4ヶ月の着任期間であった。去り際に「プレミアリーグのレベルが高いなんて神話」「どのチームも3人程度しか良い選手がいないし、そいつら以外はオランダリーグの最下位クラブでも通用しない」「ブンデスリーガのほうがレベルはずっと高い」とコメントを残している。〔Zeljko Petrovic says the Premier League is c * - The Sun 〕 2011年から古巣・浦和レッドダイヤモンズの監督に就任したが、クラブは12年ぶりのJ2降格危機に瀕し、サポーターからは「いつになったら辞めるのか」など不満が噴出した〔トークイベントでサポーターから不満が噴出 J1浦和 〕。また、サッカー専門紙エル・ゴラッソの採点では3.5を5月7日の柏戦、9月17日の清水戦で記録している。Jリーグの監督経験者で3.5を複数回つけられたのは彼が初めてのケースである。 2011年10月16日、Jリーグ第29節、対大宮アルディージャ戦に敗れた後の監督会見で、2011年シーズン限りでの辞意を表明〔「顔を上げて残りの5試合に臨む」ペトロヴィッチ 〕。同年10月20日、解任が発表された。リーグ戦績は29試合戦い6勝11分12敗というものだった。なお解任時点においてヤマザキナビスコカップでは勝ち残っており、決勝を目前にしての解任であった。 2012年2月17日、フース・ヒディンク監督とともにロシア・プレミアリーグのFCアンジ・マハチカラのコーチに就任することが発表された。 2013年7月、シーズン開始2試合で、ヒディンク監督が辞任するとともに自身も辞任。 2013年12月23日、UAEのアル・シャアブの監督に就任。 2014年7月、ディック・アドフォカート監督とともに、セルビア代表のアシスタントコーチに就任。11月に共に辞任。 2015年3月17日、アドフォカートとともに、サンダーランドAFCのアシスタントコーチに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゼリコ・ペトロビッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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