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ソマリランドの戦い : ウィキペディア日本語版
ソマリランドの戦い[そまりらんどのたたかい]

ソマリランドの戦い(英語:Italian conquest of British Somaliland, イタリア語:conquista italiana della Somalia britannica)は、第二次世界大戦の東アフリカ戦線における戦闘の一つ。イタリア王国軍東アフリカ駐屯軍(AOI)によるソマリランド攻撃に対し、英軍はアフリカ駐屯軍による防衛を試みた。
AOI軍は時勢を優先して装備・物資が不足する中で攻勢を発動、幾分の損害を受けつつもソマリランド占領に成功した。英軍は海路で他地域に脱出、ソマリランド植民地政府は枢軸軍に降伏した。
==背景==
ムッソリーニの独断によって戦争が開始された時、疲弊したイタリア王国は他の戦域と同じく東アフリカにおける十分な軍備を保持していなかった。特に当面の主敵と考えられたイギリスの植民地に囲まれた東アフリカの伊植民地においては、ごく限定的な攻撃計画を除けば一貫して守勢に立つ事が想定されていた。しかしムッソリーニはドイツ政府の要請で始められたエジプト遠征への牽制も含め、ケニアスーダンソマリランドなど周辺地域への攻撃を東アフリカ駐屯軍に命令した。
サヴォイア家の構成員であり、伊領東アフリカ駐屯軍の総司令官であった第3代アオスタ公アメデーオ・ディ・サヴォイア将軍はコマンド・スプレモ(王国軍参謀本部)に攻勢計画を承認させた。これはサヴォイア家の家長たるイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世による賛意も背景にあったと見られ、1940年8月に攻勢準備を完了した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ソマリランドの戦い」の詳細全文を読む



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