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ソルタヴァラ
ソルタヴァラ(, Sortavala, , )はロシア連邦・カレリア共和国の都市。カレリア共和国の南西部、ラドガ湖の北端に位置し、町の北西にはフィンランドとの国境が走る。2002年全ロシア国勢調査での人口は21,131人(1989年調査では22,579人)。サンクトペテルブルクからは北へ259 km、ペトロザヴォーツクからは西へ287 km 。 == 歴史 ==
ソルタヴァラの地は、スウェーデンの古文書の1468年の条において文献に初出する。ロシアの文書では、セルドボリ(, Serdobol)の名で1500年に初めて言及される。集落の歴史は1582年に遡り、ロシア大動乱期の(1610年-1617年)によりスウェーデンへ割譲された。現在に続く市の建設は1632年ごろと考えられる。 1721年のニスタット条約により古フィンランド(Old Finland, Vanha Suomi、カレリアの大部分)がロシア帝国へ割譲されたときにソルタヴァラもロシア領となり、ロシア語でセルドボリと呼ばれるようになった。セルドボリは1783年にエカチェリーナ2世の地方改革で再び市の地位を与えられ、サンクトペテルブルクやその付近の宮殿建設のための大理石や花崗岩採掘で知られるようになった。1812年、古フィンランドを管轄するヴィープリ県は、新設されたフィンランド大公国の一部となった。 1917年にはフィンランドはロシアから完全独立しソルタヴァラはフィンランド領となったが、冬戦争ではソ連軍の空襲で被害を受け、モスクワ講和条約(1940年3月)によりカレリアの大半とともにソ連へ割譲された。このとき住民もみなフィンランドへ立ち退いた。1941年から1944年の継続戦争ではカレリアの大半をフィンランドが取り返しソルタヴァラ市民も家へと戻ったが、1944年のモスクワ休戦協定で1940年の国境が画定し、市民は再度フィンランドへ立ち退きソルタヴァラは無人になった。戦後はソ連各地から移住した市民により市街が再建された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソルタヴァラ」の詳細全文を読む
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