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ソルトン湖(、英語の"Sea"は「海」だが、内陸湖なので「湖」とする)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のインペリアル・バレーにあり、サンアンドレアス断層の上に直接乗っている塩水の内陸地溝湖である。南カリフォルニアのインペリアル郡とリバーサイド郡に跨るコロラド砂漠のソルトン盆地で標高が最も低い場所にある。デスヴァレーと同様に海面下にあり、その湖水面でマイナス227フィート (-69 m) と、デス・ヴァレーの最低点より55フィート (16.76 m) 高い全米二位で西半球二位の最低地点である。ソルトン湖にはニュー川、ホワイトウォーター川およびアラモ川が流れ込み、また農業用水の流出水やクリークの水も流入している。歴史上、この場所は湖ができたり乾燥地帯になったりを繰り返したが、1905年の洪水により砂漠にインペリアル・バレーの灌漑用水が流入し、現在見るような大きな湖が誕生した。 湖水面積は241,000 エーカー (964 km²) あり、カリフォルニア州最大である。農業用水や雨の量によって大きさは変化するが、平均的な大きさは横15マイル (24 km)、縦35マイル (56 km)、最大深さ52フィート (16 m) あり、貯水量は7,500,000 エーカー・フィート (9.25 km³)、年間平均流入量は1,360,000エーカー・フィート (1.68 km³) である。湖水の塩分濃度は約44 g/L であり、太平洋の塩分濃度 (35 g/L) より高いが、グレートソルト湖よりは低い。塩分濃度は毎年約1%ずつ上昇している。 湖の上空はケーン西とケーン東の軍事演習地域であり、北側の小部分はクラスEとGの作戦空域になっている。南西部、南部および東部の上空の大半が飛行制限されている。ソルトン湖国立野生生物保護区は湖の南東4分の1を占めているので、有視界飛行方式航空図(天候が良い時にパイロットが用いる)に表示されている。 == 歴史 == 300万年前、少なくとも更新世氷期を通じてコロラド川がインペリアル・バレーの南部に河口デルタを形成した。最終的にこのデルタがカリフォルニア湾(コルテス海)の西岸に到達し、そこに土砂を積み上げて大規模なダムの役割を果たし、ソルトン湖をカリフォルニア湾北岸から分離した。 その結果、ソルトン盆地は一定ではない川の流量と流入量と蒸発量のバランスに依存して、淡水湖になったり乾燥した砂漠盆地になったりの状態を繰り返してきた。湖は川と降雨で水が満たされたときのみに存在し、湖と砂漠のサイクルは数十万年の間に夥しく繰り返された。1905年の洪水の際に湖の状態になって現在に至っている。 周期的に複数の湖が存在したという証拠もある。現在の湖の東側と西側の丘陵部には、様々な高さで波打ち際となっていた印が残されている。数百年前は盆地全体が間欠的に水で満たされていた。更新世末期にこの盆地を占めていたのはカウィーア湖であり、古地図ではルコント湖やブレイク湖とも記されている。ブレイクという名前はアメリカ合衆国の地質学者ウィリアム・フィップス・ブレイクに因むものである。 内陸のソルトン盆地は南カリフォルニアの広大な地域をカバーする巨大な内陸湖(海)だったので、岩塩の採鉱が行われていた〔The Salton Sea – Its Beginnings . Accessed 2010-06-14〕。カリフォルニア州の歴史でスペイン統治時代を通じて、リオ・コロラド(コロラド川)に因み、この地域はコロラド砂漠と呼ばれていた。1853年から1855年に行われた鉄道建設のための測量では、「古代湖の谷間」(バレー・オブ・ジ・エインシャント・レイク)と呼ばれていた。アメリカ合衆国議会図書館にある古地図では「カウィーア・バレー」(土地のインディアン部族名)および「カバゾン・バレー」(現地のインディアン酋長に因む)という表記が見られる。1867年の地図にはソルト・クリークが初めて現れ、1900年の鉄道地図には「ソルトン駅」があった。この場所には1870年代後半以来列車が停まっていた〔History of the Salton Sea , Accessed 2010-06-14〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソルトン湖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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