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ソ朝友好協力相互援助条約 : ウィキペディア日本語版 | ソ朝友好協力相互援助条約[そちょうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく] ソ朝友好協力相互援助条約(そちょうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく、, )とは、1961年7月6日、モスクワにおいて、ソビエト社会主義共和国連邦と朝鮮民主主義人民共和国との間で結ばれた条約。条約はソ連からはニキータ・フルシチョフ首相(当時)、北朝鮮からは金日成首相(当時)が出席して調印された。 == 経緯 == 朝鮮戦争の休戦後、北朝鮮はますます、独自路線を歩み、個人崇拝を強化していた。1956年2月、ソ連のフルシチョフがスターリン批判を展開したが、金日成はこれを無視した。さらに、金日成率いる「満州派」に批判的な「南労党系」、「ソ連派」、「延安派」を粛清したことで、ソ朝関係は悪化した。 しかし、1950年代末からの中ソ対立の最中、中国と北朝鮮の関係が悪化すると、北朝鮮はソ連との関係改善に努めた。とくに日本からの朝鮮人の帰国は金日成にとって経済上の必要があった〔下斗米、p.120〕。 1991年のソ連崩壊や冷戦の終結などの国際情勢の変化によりソ朝友好協力相互援助条約は1996年に破棄・失効した。
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