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ソ連人民芸術家(、女性型は、ソ連国家芸術家とも)は、ソ連における栄誉称号のひとつである。1936年から1991年の間に1007名へ授与されている。 ==概要== ソ連人民芸術家という用語が使用されているため、芸術家全般を対象にしているかの如き印象を受けるが、この称号は、舞台芸術及び、視覚芸術(ビジュアルアート)の二部門を対象としていた。また、個々のソ連邦構成共和国(ロシア、ウクライナ、白ロシア、カザフ、リトアニア、モルダビア、ラトビア、エストニアなど)や自治共和国も人民芸術家を設定し、さらに功労芸術家を設定して階層化がなされていた。例えば、ロシアでは、上から順に、ソ連人民芸術家 ― ロシア人民芸術家 ― ロシア功労芸術家という順になっていた。 例えば、モルドバ人で現在ウクライナで活躍中の歌手、ソフィーヤ・ロタールは1973年ウクライナ共和国功労芸術家、1976年ウクライナ共和国人民芸術家、1983年モルダビア共和国人民芸術家、1988年ソ連人民芸術家の称号を逐次授与された。 これら人民芸術家の称号の保持者は、ソ連政府から特権を与えられるとともに、ソ連文化省から任務を与えられた。このような性格上、当然のごとく、ソビエト体制を批判した異論派のような芸術家や作家は、疎外された。また、表立って体制に反対はしていないが反対派にとって価値のあるアーティストに対し、敢えて称号を与えることで反対派との切り離しを行うという手段にも用いられた。例えば、上述のソフィーヤ・ロタールは、1988年にモスクワ政府が人民芸術家の称号を授与したことにより、ウクライナで盛り上がっていた反体制的・民族主義的な運動からは体制迎合的な裏切り者として一時排除された。これは、ウクライナ文化の復興を熱望していた本人には不本意な結果であったが、一方、称号を与えたモスクワ政府にとっては、当時ウクライナで最も人気のある歌手が反体制側で影響力を発揮するのを未然に防ぐことができ、運動を分裂させることに成功したという点で大きな効果が得られたものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソ連人民芸術家」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 People's Artist of the USSR 」があります。 スポンサード リンク
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