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ソ連型社会主義(それんがたしゃかいしゅぎ)とは、1917年のロシア革命から1991年のソ連崩壊までの、ソビエト連邦で実施された社会主義の政策・体制などを指す用語。多くの東ヨーロッパ諸国等でも同様あるいは類似の政策・体制が行われた。マルクス・レーニン主義による社会主義と共産主義を掲げ、共産党による一党独裁、生産手段の国有化、中央集権、計画経済、官僚制などを特徴とする。 == 概説 == 「ソ連型社会主義」という用語は、社会主義体制には複数のモデルがありうる、という認識を前提とした用語であり、ソビエト連邦などによる既存の社会主義体制以外の社会主義モデルを表現する際に使用されている。 カール・マルクスは共産主義社会が実現されれば階級や国家は消滅し、自由で平等な社会が実現すると提唱した。しかし共産党が権力を握ったロシア、中華人民共和国、東欧などの既存の社会主義国では、共産党による国家・経済・社会への統制が強化され、民主主義や基本的人権が制限された(レーニン主義、スターリン主義)。 1917年のロシア革命直後は戦時共産主義が実施された。革命を支持した側からも、アナキストはソビエト連邦の国家主義を「国家社会主義」と批判し、マルクス主義者のローザ・ルクセンブルクらはレーニン主義は民主主義的ではないと批判した。またカール・カウツキーらはソビエト連邦を一党独裁と批判し、社会民主主義や民主社会主義の一部は反共主義を掲げた。 逆に、より急進主義的な共産主義者の立場からは、1921年以降のネップは資本主義の復活であると批判した。レフ・トロツキーはソビエト連邦をスターリン主義、「堕落した労働者国家」と批判した。1960年代以降の中ソ対立では、中国はソビエト連邦を修正主義、「社会帝国主義」と批判した。 特にプラハの春以降は、西側先進国のいわゆる左翼陣営の中での「ソ連型社会主義」への批判は勢力を拡大した。ユーロコミュニズムは従来のマルクス・レーニン主義の原則を放棄した。日本では「ソ連型社会主義」と対比させ、「日本型社会主義」や「日本型社会民主主義」などが提唱され、日本共産党は自主独立路線を採用した。またアラブ社会主義、アフリカ社会主義、ビルマ式社会主義なども提唱された。ロナルド・レーガンはソビエト連邦を「悪の帝国」と呼んだ。トニー・ブレアは「第三の道」を提唱した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソ連型社会主義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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