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ロシア国立シンフォニー・カペラ〔参考文献「世界のオーケストラ名鑑387」やクラーヴェスCD国内盤のように「ロシア国立シンフォニック・カペラ(カペレ)」とする例も多く見られる。〕(、)は、モスクワを本拠とする演奏団体。オーケストラと合唱団の複合組織である。 == 概要 == オーケストラは、1957年にサムイル・サモスードを指揮者として結成された全連邦放送オペラ・シンフォニー・オーケストラ()を前身とし〔英訳・和訳されるとモスクワ放送交響楽団と判別し難い。また、ロシアで復刻されたCDでもこの名称が記載されていない場合がある(KVADROから復刻されたメロディア原盤の「金鶏」など)。〕、後にソヴィエト国立文化省交響楽団(、)の名称でゲンナジー・ロジェストヴェンスキーを音楽監督として再編成された。その後、ソヴィエト・フィルハーモニー交響楽団、モスクワ・シンフォニック・カペレを経て現在名になった〔ロジェストヴェンスキーが指揮者に就任した当初は、前身のオーケストラについて触れる媒体はなく、西側諸国での活動が多くなっていたロジェストヴェンスキーを国内に引き止めるため、新たに創設されたオーケストラという説明がなされていた。これを継承して、参考文献としてあげた「オーケストラ名鑑」はいずれも1982年創設としている。〕。 合唱団は、ヴァレリー・ポリャンスキーがモスクワ音楽院在学中の1971年に立ち上げたモスクワ音楽院室内合唱団()を前身とする。この合唱団は、1975年にイタリアのアレッツォで開催された国際ポリフォニー合唱コンクールで最上位となり、国外でも認められ、後に同団のメンバーが中核となって文化省傘下のソヴィエト国立文化省室内合唱団(、)に再編成された〔日本では「ソビエト国立室内合唱団」()として録音が発売された。〕。 1991年、ソ連崩壊に伴う混乱の中、ロジェストヴェンスキーは辞任し、オーケストラと合唱団は合併、翌1992年よりポリャンスキーが芸術監督兼首席指揮者に就任した。1990年代後半から2000年代半ばまでポリャンスキーの指揮によりシャンドス・レーベルに合唱作品を含む多くの作品を録音している。同レーベルへの録音は、合唱団は「Russian State Symphonic Cappella」、オーケストラは「Russian State Sympony Orchestra」の名義で行っている。日本国内では、オーケストラは「ロシアン・ステイト・シンフォニー・オーケストラ」「ロシア国立交響楽団」などと訳されて媒体が発売されている〔ロシア国立交響楽団(スヴェトラーノフが音楽監督を務めた団体)と混同しやすいため、注意を要する。 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロシア国立シンフォニー・カペラ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 State Symphony Capella of Russia 」があります。 スポンサード リンク
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