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タカイホーマは日本の競走馬。1972年の中央競馬牝馬クラシックの本命と目されたが、相次ぐ不運により無冠に終わり、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。同期は桜花賞・ビクトリアカップの二冠を制したアチーブスター。半兄に天皇賞(春)・宝塚記念を制したヒカルタカイがいる。 ※年齢は旧表記(数え年) == 戦績 == 1971年9月の札幌でデビューしたタカイホーマは、2戦目の新馬戦で快勝。東京に戻って特別戦の黄菊賞も勝ち、この年は4戦2勝。関東牝馬クラシック最有力候補に躍り出た。 だが、ここからタカイホーマに立て続けに不運が訪れる。クイーンカップ勝利の勢いに乗って桜花賞参戦の準備をしていた矢先、突然の体調不良により参戦中止。アチーブスターの優勝タイム1分37秒6は平凡なもので、無事ならば優勝争いは確実と言われた。 体勢を立て直し、桜花賞と同日開催のカーネーションカップと4歳牝馬特別を勝ち、父が短距離血統のスパニッシュイクスプレスであるにも関わらず、母系血統でスタミナが補われていると見られて1番人気で臨んだオークスも、勝負所の落鉄が響き嶋田功騎乗のタケフブキ〔1歳下の二冠馬タケホープの半姉。〕の強襲に遭い2着に終わった。 日本短波賞をスガノホマレの3着に惜敗した後、休養に入ったタカイホーマは、休養明けのクイーンステークスを快勝。桜花賞の二の舞を避けるべく早めに関西入りした。西下初戦(京都牝馬特別)4着は、調整途中ゆえの結果で織り込み済みと思われた。 しかし、圧倒的1番人気で臨んだビクトリアカップで最悪の不運が襲い掛かる。向こう正面で他馬と接触により右後肢腱断絶を発症し失速。この時点で馬が停止せず、さらに第3コーナーで左前肢を骨折。鞍上・樋口弘(現・調教助手)の必死の制御の甲斐無くそのまま走り続け、ついに第4コーナーで右前肢まで骨折し転倒。転倒の弾みでさらに左前肢まで骨折。悪い事に折れた骨が心臓に突き刺さり、出血多量により死亡した。最後方に下がっていたため、他馬を巻き込まなかったのが不幸中の幸いであった。 実は、ビクトリアカップが4歳牝馬秋の大一番〔当時、今で言う所の牝馬限定G1競走は、牝馬クラシックとビクトリアカップしか無かった。〕で無ければ参戦中止していた程の脚部不安〔因みに、京都牝馬特別敗戦もこれが原因だった。〕が引き起こした悲劇であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タカイホーマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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