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M5(エムファイブ)とは、1982年にソード(後の東芝パソコンシステム)が開発・発売したパソコンである。主に電器店で販売された。また、同時期に、タカラ(後のタカラトミー)からOEMとして、ゲームパッドを付けたゲーム仕様のゲームパソコンが発売され、玩具店ルートで販売された〔滝田誠一郎 『ゲーム大国ニッポン神々の興亡』青春出版社 2000年、p.83〕。タカラは後にゲームパッドを除いたゲームパソコンM5を販売した。 ソードから発売された製品はm5で小文字のmだが、タカラから発売されたゲームパソコンM5は大文字のMである。 ロムカートリッジとカセットテープによるゲームの供給も行われ、特にナムコ(後のバンダイナムコゲームス)製アーケードゲームが多数移植された。初年度に10万台以上と当時のパソコンとしては大ヒットした〔〔宮永好道『誰も書けなかったパソコンの裏事情』並木書房、1998年、pp.96-97〕が、1983年にMSXや任天堂のファミリーコンピュータが発売されると販売が振るわなくなり、1年半後の1984年に市場から撤退した〔。広告キャラクターは、森尾由美。 Apple IIの様に各種仕様を公開したので、熱心なホビーユーザーの支持を得た。韓国ではゴールドスター(金星電子)がFC-150という名称で販売〔Wikipedia(ハングル版) FC-150 の項を参照 〕〔8bit computer FC-150 の紹介(ハングル版) 〕。また東欧諸国でも互換機が販売された。 == 仕様 == 互換性はないものの、基本的な設計や性能は後に発売されたMSX、セガのSC-3000と類似している。本体の詳細な仕様はソードから書籍『モニタハンドリングマニュアル』として公開されていた。 CPU は当時の標準だった Z80(3.58MHz)。メインボードにZ80 CTCを搭載しており、割り込みを多用してきめ細かな管理を行っている。CTCはVDPからの割り込み要求も仲介している。 VDPにテキサス・インスツルメンツ社の TMS9918 を採用し、256×192ドット16色表示と16×16ドットの単色スプライト表示が可能だった。出力信号はNTSC(いわゆるビデオ)出力およびRF出力である。 音源にはSN76489を採用し、3チャネルの矩形波出力と1チャネルのノイズ出力が可能である。ハードウェア的なエンベロープ生成機能はないため、M5ではモニター(いわゆるBIOSにあたる)の機能として、Z80 CTCからの割り込みを受けてRAM上の波形データに従い音量を変化させることで、ソフトウェアによるエンベロープ生成をサポートしていた。 キーボードは本体一体型のいわゆる消しゴムキーボードである。各キーが長方形の一隅が斜めにカットされた五角形となっているのが特徴である。 本体のRAM容量は4キロバイト、内蔵モニタROM容量は8キロバイト。V-RAMは16キロバイト〔。 カートリッジスロットがあり、ゲームソフトやBASIC等の言語のカートリッジを挿して使うほか、周辺機器の接続にも使われた。 その他のインターフェイスに、ビデオI/F、プリンターI/F、ジョイパッドI/F、カセットテープI/Fがある。カセットテープI/Fの転送レートは標準で2000bpsで、RAM上のパラメータを変更することにより理論値で1600~3200bpsの範囲で変更が可能。読み込み時はモニターの機能により、リーダー部分で読み込んだデータを基に自動的に転送レートを決定する。 BASICは内蔵せずカートリッジによって提供。本体に標準で付属した BASIC-I の他、ゲームプログラミングに特化した BASIC-G や浮動小数点の計算が出来る BASIC-F が用意された。 BASIC-G は当時のパソコン雑誌のベンチマークテストで、並み居る高級機に並んでZ80のインタープリター言語では最速を誇り、一部のコンパイラーにも迫る早さを見せた。 ソードは、簡易言語のPIPSのメーカーであり、M5にもFALCという簡易言語のカートリッジがオプションで用意され、表計算などにも使えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「M5(エムファイブ)とは、1982年にソード(後の東芝パソコンシステム)が開発・発売したパソコンである。主に電器店で販売された。また、同時期に、タカラ(後のタカラトミー)からOEMとして、ゲームパッドを付けたゲーム仕様のゲームパソコンが発売され、玩具店ルートで販売された滝田誠一郎 『ゲーム大国ニッポン神々の興亡』青春出版社 2000年、p.83。タカラは後にゲームパッドを除いたゲームパソコンM5を販売した。ソードから発売された製品はm5で小文字のmだが、タカラから発売されたゲームパソコンM5は大文字のMである。ロムカートリッジとカセットテープによるゲームの供給も行われ、特にナムコ(後のバンダイナムコゲームス)製アーケードゲームが多数移植された。初年度に10万台以上と当時のパソコンとしては大ヒットした宮永好道『誰も書けなかったパソコンの裏事情』並木書房、1998年、pp.96-97が、1983年にMSXや任天堂のファミリーコンピュータが発売されると販売が振るわなくなり、1年半後の1984年に市場から撤退した。広告キャラクターは、森尾由美。Apple IIの様に各種仕様を公開したので、熱心なホビーユーザーの支持を得た。韓国ではゴールドスター(金星電子)がFC-150という名称で販売Wikipedia(ハングル版) FC-150 の項を参照 8bit computer FC-150 の紹介(ハングル版) 。また東欧諸国でも互換機が販売された。== 仕様 ==互換性はないものの、基本的な設計や性能は後に発売されたMSX、セガのSC-3000と類似している。本体の詳細な仕様はソードから書籍『モニタハンドリングマニュアル』として公開されていた。CPU は当時の標準だった Z80(3.58MHz)。メインボードにZ80 CTCを搭載しており、割り込みを多用してきめ細かな管理を行っている。CTCはVDPからの割り込み要求も仲介している。VDPにテキサス・インスツルメンツ社の TMS9918 を採用し、256×192ドット16色表示と16×16ドットの単色スプライト表示が可能だった。出力信号はNTSC(いわゆるビデオ)出力およびRF出力である。音源にはSN76489を採用し、3チャネルの矩形波出力と1チャネルのノイズ出力が可能である。ハードウェア的なエンベロープ生成機能はないため、M5ではモニター(いわゆるBIOSにあたる)の機能として、Z80 CTCからの割り込みを受けてRAM上の波形データに従い音量を変化させることで、ソフトウェアによるエンベロープ生成をサポートしていた。キーボードは本体一体型のいわゆる消しゴムキーボードである。各キーが長方形の一隅が斜めにカットされた五角形となっているのが特徴である。本体のRAM容量は4キロバイト、内蔵モニタROM容量は8キロバイト。V-RAMは16キロバイト。カートリッジスロットがあり、ゲームソフトやBASIC等の言語のカートリッジを挿して使うほか、周辺機器の接続にも使われた。その他のインターフェイスに、ビデオI/F、プリンターI/F、ジョイパッドI/F、カセットテープI/Fがある。カセットテープI/Fの転送レートは標準で2000bpsで、RAM上のパラメータを変更することにより理論値で1600~3200bpsの範囲で変更が可能。読み込み時はモニターの機能により、リーダー部分で読み込んだデータを基に自動的に転送レートを決定する。BASICは内蔵せずカートリッジによって提供。本体に標準で付属した BASIC-I の他、ゲームプログラミングに特化した BASIC-G や浮動小数点の計算が出来る BASIC-F が用意された。 BASIC-G は当時のパソコン雑誌のベンチマークテストで、並み居る高級機に並んでZ80のインタープリター言語では最速を誇り、一部のコンパイラーにも迫る早さを見せた。ソードは、簡易言語のPIPSのメーカーであり、M5にもFALCという簡易言語のカートリッジがオプションで用意され、表計算などにも使えた。」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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