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タケノベルベット
タケノベルベットは日本の競走馬。1992年エリザベス女王杯優勝馬である。そのほかのおもな勝鞍に鳴尾記念などがある。半姉に桜花賞馬リーゼングロス(父アローエクスプレス)やマーサレッド(1983年優駿賞最優秀3歳牝馬、父ボールドリック)がいる〔。 馬齢は旧表記にて統一する。 == 戦績 == デビューは1992年2月のダート1800m新馬戦であり、2馬身半差で快勝。エリザベス女王杯出走まで6戦3勝という成績を残している〔。その間にはクラシックトライアルのチューリップ賞(アドラーブル、ニシノフラワーの3着〔『優駿』1993年1月号、日本中央競馬会、144頁〕、ただし当時は重賞ではなく優先出走枠は2着馬までだった)やスイートピーステークスにも出走しているが、優先出走権を得ることは出来ず春にはGIとは無縁な馬だった。準オープンの身で出走したエリザベス女王杯では18頭立てでブービーの17番人気とまったく注目されていなかったが、同じくパドスール産駒の2着メジロカンムリを3馬身半突き放して快勝、馬番連勝の配当が7万470円という番狂わせであった〔『優駿』1993年1月号、日本中央競馬会、45頁〕。なおこの勝利は鞍上を託された藤田伸二にとっては初のG1制覇であった〔。続く鳴尾記念では古馬牡馬相手に掛かるところがありながら勝利し、エリザベス女王杯がフロックではなかったことを証明して見せた〔『優駿』1993年1月号、日本中央競馬会、156頁〕。 1993年も日経新春杯3着、阪神大賞典ではレコードをマークしたメジロパーマーと半馬身差の2着〔『優駿』1993年5月号、日本中央競馬会、137頁〕と好成績を残しており、天皇賞(春)では5番人気と穴馬的な評価を受けていたが、フケ(発情)の影響もあり10着と大敗。同レースを最後に引退した〔「今月のトピックス」『優駿』1993年6月号、日本中央競馬会、57頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タケノベルベット」の詳細全文を読む
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