|
トーマス 「タッド」 リンカーン3世( , 1853年4月4日 - 1871年7月15日)は、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンとメアリー・トッド・リンカーンの末息子で四男。18歳で病死した。 「タッド」はオタマジャクシのように落ち着きがないことから父親から与えられたニックネームである。よくホワイトハウス内を自由に走り回っていた。無遠慮で直情的な性格で、その無鉄砲ぶりを物語る数々のエピソードが残されている。父親の存命中は学校に通わなかった。 == 生いたちと教育 == トーマス・リンカーン3世は1853年4月4日にエイブラハム・リンカーンとメアリー・トッド・リンカーンの四男として、アメリカ合衆国のイリノイ州スプリングフィールドにて出生した。彼にはロバート(1843–1926)、エディ(1846–1850)、ウィリー(1850–1862)という名の3人の兄がいた。父方の祖父にあたるトーマス・リンカーンと叔父のトーマス・リンカーン・ジュニアにちなんで名付けられた彼はすぐに、その小さな身体と大きな頭、幼少期にオタマジャクシのように落ち着きがないことから父親から「タッド」というニックネームを与えられた〔Wead(2003年) pp.89-90〕。タッドのファーストネームはたまに誤って「」(タデウス)と記載されている〔Bayne(2001年) p.13〕。 タッドは口唇口蓋裂を持って生まれ、生涯を通して発話障害に苦しんだ。構音障害があり、早口でごにょごにょと話したので〔Hutchinson(2009年) para.2〕、彼と親しい者しか理解できないことが多かった〔Hutchinson(2009年) para.11〕〔Bayne(2001年) p.3〕。たとえば、父のボディーガードのを「トゥック」と呼び、父を「パパ・ディア」ではなくて「パパ・デイ」と呼んだ〔Hutchinson(2009年) para.16〕。口蓋裂の影響で歯並びが悪く、そしゃくが困難だったので、特別な食事が用意された〔Hutchinson(2009年) para.22〕。 タッドと歳の近い兄のウィリーはスプリングフィールドに在住していた期間に、「悪名高いいたずらっ子」とみなされていた。エイブラハムと法律事務所を共同で経営するウィリアム・ハーンドンは棚から本を引っ張り出し、事務所内をひっかきまわしている子どもたちにエイブラハムが気付いていないと書き残している〔Wead(2003年) p.90〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タッド・リンカーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|