翻訳と辞書
Words near each other
・ タデウシュ
・ タデウシュ・カスプシツキ
・ タデウシュ・カスプジツキ
・ タデウシュ・カスプジュツキ
・ タデウシュ・クチシェバ
・ タデウシュ・クトゼバ
・ タデウシュ・クリメツキ
・ タデウシュ・コシチュシュコ
・ タデウシュ・コモロフスキ
・ タデウシュ・コンヴィツキ
タデウシュ・シェリゴフスキ
・ タデウシュ・タンスキ
・ タデウシュ・ツムジンスキ
・ タデウシュ・バイルト
・ タデウシュ・ボイ=ジェレンスキ
・ タデウシュ・マゾヴィエツキ
・ タデウシュ・ライヒシュタイン
・ タデウシュ・ライヒスタイン
・ タデウシュ・レイタン
・ タデウシュ・ロメル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

タデウシュ・シェリゴフスキ : ウィキペディア日本語版
タデウシュ・シェリゴフスキ

タデウシュ・シェリゴフスキ(''Tadeusz Szeligowski'', 1896年9月13日 - 1963年1月10日)は、ポーランド作曲家
リヴィウ出身。幼いころより母からピアノを学び、現地の音楽院でヴィレーム・クルツらについて学んだ。その後クラクフヤギェウォ大学1918年から1922年まで法律を、1921年から1928年まで音楽学作曲を学び、博士号を取得した。その間、1923年ビリニュスに出て、1925年から1927年までビリニュス音楽院で音楽史を講義した。1929年よりパリに出て、ナディア・ブーランジェポール・デュカスに師事した。1931年に帰国し、ポズナン音楽院で音楽理論と作曲を教えた。第二次世界大戦中はビリニュスの教会でオルガニストを務めた。1945年からルブリン音楽院の教授となり、1947年にはポズナンオペラアカデミーの学長となった。またポズナン管弦楽団を指揮し、1951年から1954年までポーランド作曲家連盟の議長を務めた。
==主な作品==

* 管弦楽のための協奏曲(1930)
* ピアノ協奏曲(1941)
* ノクターン(1947)
* 喜劇的序曲(1952)
* 4つのポーランド舞曲(1954)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「タデウシュ・シェリゴフスキ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.