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タナカカツキ : ウィキペディア日本語版
タナカカツキ

タナカ カツキ(本名:田中 克己、男性1966年 - )は、日本マンガ家映像作家大阪府出身。
18歳でマンガ家デビュー。京都精華大学美術学部ヴィジュアルデザイン学科(現デザイン学部)卒業。現在、同大学デザイン学部客員教授。水草レイアウトの世界ランカーであり、協会公認のサウナ大使でもある
マンガ家のロビン西とは近所に住む幼なじみ。ソウル・フラワー・ユニオン&ソウル・フラワー・モノノケ・サミット河村博司 (B) とは中学時代の同級生。
従姉にフローランタンの柳楽桜子、従兄にジャーナリストの田中周紀(たなか・ちかき)らがいる
== 経歴・人物 ==
幼少時は赤塚不二夫に大きな影響を受け、マンガや映像作品を制作し始める。初のアニメ作品は小学5年の頃8ミリフィルムによって制作されるなど、早い時期に独学で画にまつわる表現を身につける。高校卒業後に京都精華大学に進学、本人の話では、理由は勉強をせずにマンガを描いていても許される校風だったからだという。
1985年、「ミート・アゲイン」で小学館新人漫画賞佳作入選(原真己名義)、この作品は審査員の石ノ森章太郎からは否定的な意見を受けるが、ちばてつやに「新しいマンガ!」と評価される。1988年、講談社から再デビュー。
1988年から1989年に「コミックモーニング」に連載された『逆光の頃』は、ベタや余白を大胆に使用したイラスト的に美しい作品に仕上がった作品であるが、同時に『中学生』という精神的にも肉体的にも不安定な時期を、前記の単純で明快な表現により、その不安定さの重要性を賛美している作品ともいえる。こうした二重の意味をはらんでいる佳品であり、思春期が理不尽なほど美しく描かれている。
この初期の「ガロ系」の3冊のマンガ作品(逆光の頃、りん子、エントツにのぼる子)は、当時、交友のあった内田春菊から「叙情派」となづけられ、内田のマンガ作品「ストレッサーズ」に、「叙情派男・日本叙情派協会会長・JOJO」というキャラクターで登場している。
その後の作品は、天久聖一とコンビを組んだ「バカドリル」以降、過去のマンガなどからの引用にみちた、ナンセンスな作風に移り、絵柄も初期作品とは大きく異なる。
一方、「笑っていいとも!」の構成ブレーンを経て、「うたばん」、「ここがヘンだよ日本人」などの映像を手がける。映像制作会社カエルカフェ設立者。森美術館「六本木クロッシング日本美術の新しい展望2004」参加、「デジオナイト」開局などデジタルオンラインのフィールドにも活動の幅を広げる。
2006年10月には、NHK音楽番組みんなのうた」の楽曲『』のアニメーションを担当。
タナカカツキ(タナカ塾)の門下にはおおひなたごう(マンガ家)、ばばかよ(イラストレーター)、菅原そうた(バカCGアーティスト)、牧鉄兵(映像作家)、大月壮(映像作家)などがいる。
なお、本人による職業の表記は「漫画家」ではなく「マンガ家」である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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