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タハ・ヤシン・ラマダン : ウィキペディア日本語版 | ターハー・ヤースィーン・ラマダーン
ターハー・ヤースィーン・ラマダーン・アッ=ジズラーウィー(طه ياسين رمضان الجزراوي Tāhā Yāsīn Ramadān al-Jizrāwī, 1938年2月22日 - 2007年3月20日)は、イラクの元政治家で、第1副首相(1979年-1991年)、副大統領(1991年-2003年)。日本の報道等では「ラマダン(元)副大統領」と呼ばれることが一般的である。2003年に開始されたイラク戦争により、サッダーム・フセイン政権が崩壊した後に拘束され、シーア派アラブ人市民の虐殺に関与したとして裁判にかけられ、死刑判決を受けて処刑された。 == 生い立ち == 1938年頃、イラク北部の都市モースルでジズラーウィー部族の農家の家に生まれる。ラマダーンの家系はトルコ・ディヤルバクル出身のイラクに移住したクルド人である。 高校卒業後、同地で銀行員として働いていた。その後陸軍に入隊し、准士官となる。ラマダーンは、地方の貧困を放置しているハーシム王制には不満を抱いていた。これは彼が農村出身だったことに起因すると思われている〔Taha Yassin Ramadan The Guardian 2007年3月21日〕。そこで1956年に当時、非合法政党であったバアス党に入党し、党の地下活動に参加する。サッダームともこの頃に出会う。 1964年、アブドッサラーム・アーリフ政権に不満を持つアフマド・ハサン・アル=バクル将軍らが企てたクーデター計画に参加したが、計画が発覚し、他のバアス党の活動家や党員らと共にナーシリーヤの刑務所に投獄された。1966年、アブドッラフマーン・アーリフ政権での恩赦により釈放。1968年には、バアス党主導クーデターに参加し、主要な役割を果たした。
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