翻訳と辞書 |
タフマースブ2世[たふまーすぶ2せい]
thumb タフマースブ2世(? - 1732年?、在位:1722年11月 - 1732年)は、サファヴィー朝の第10代君主。 父は第9代君主のスルターン・フサイン。父の在位中に皇太子となった。1722年に父がに敗れて降伏・退位すると、彼は王朝の旧都であるカズヴィーンに逃れて正統な後継者として即位した。以後、簒奪したマフムードやアシュラーフと戦いながらイラン北部で抵抗運動を続ける。 この頃、ホラーサーンではを率いるナーディルクリー・ベグが勢力を拡大していた。タフマースブは彼と手を組み、1729年にアシュラーフを破って翌年に処刑した。その後はナーディルの力を得てアフガン族を追い払い、オスマン朝とも交戦してハマダーンを奪ったりした。しかし次第にナーディルとの溝が深まり、対立するようになる。1732年、タフマースブはオスマン朝と交戦して敗れ、屈辱的な講和条約を締結した。これを知ったナーディルは軍を率いてイスファハーンに進軍し、タフマースブは彼によって強制的に退位させられ、跡は生後8ヶ月の息子であるアッバース3世が継ぐことになった。
== 参考文献 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タフマースブ2世」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|