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タブラ・フンガリアエ(Tabula Hungariae, Lázár's map〔Lázár térképe 〕、「ハンガリーの表」の意)とは1528年以前にハンガリー人ラーザール・デアーク(Lázár deák)が作ったハンガリーの印刷地図。2007年に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界の記憶に登録されている。 ==内容== この地図は大きさ65×85 cmほどであり、北東を上、南西を下に描かれている。地図は16世紀初めのハンガリー王国の領域を示している。 ハンガリー王国はこの地図ができる直前の1526年、モハーチの戦いで、北側をハプスブルク家に、南側をイスラーム国家であるオスマン帝国に分け取りにされている。旧ハンガリー王国は、形式上はハプスブルク家に吸収された形になっており、この地図もハプスブルク領で作られたものである。この地図では、オスマン領である南半分は別の色で塗られている。南部に飛び地としてハプスブルク家側の領地が残されており、地図作成の目的はオスマン帝国に対する反撃にあったものと思われる。もっとも、戦争はしばらくオスマン帝国有利に進み、この地図でハプスブルク領であった地域のいくつかは後にオスマン帝国領となっている。 この地図には約1400の地名が書かれており、それが今日貴重な資料となっている。書かれた地名の内1270が集落名、その内の365がトリアノン条約で取り決められた今日のハンガリー領のものである。 地図の最下部に、ドイツ語、ラテン語それぞれで地図の解説が書かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タブラ・フンガリアエ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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