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タンマサート大学(, Thammasat University)はタイにある大学。 ==概要== 旧称は มหาวิทยาลัยวิชาธรรมศาสตร์และการเมืองで日本語では法政大学と呼ばれていた。タイが王政から民主主義体制へと移行した2年後の1934年6月27日に法学者であり首相、元老などを務めたプリーディー・パノムヨンによって創設された。タイで最も歴史のあるチュラーロンコーン大学に次ぐ歴史を有する。国立大学で、王宮の近くに所在する。チュワン元首相をはじめとして各界の多くの著名人を輩出している。 設立当初はタマサート学士一コースで「タマサート」の名前の通り、法学系の大学であり、法学部門ではタイ国内の権威とされている。また、政治科学、人文学などの講義も行われている。文系の大学として知られていたが、1980年代以降、国内の経済発展により国内が慢性的な人材不足に陥ったため、タマサート大学は理系のコースも設置するようになった。 人民党出身であり、自由タイメンバーも努めたプリーディーが設置したこともあり、ラマ6世(ワチラーウット)によって設置された保守的なチュラロンコーン大学に比べ、民主化思想の傾向を持つ大学であった。1947年移行の軍事政権下では反体制的運動の中心的存在となり、10月学生決起などを引き起こした。プリディーをはじめとして多くの大学関係者が海外へ亡命し、大学の財産は差し押さえられ、国立大学化させられた。 1962年文学部が設置されると、入学後一年間は一般教養科目の履修が必須となり、民主主義についても学ぶようになった。その結果、学生の多くがタイの社会問題を考えるようになり、農村などへ出かけて民主主義の啓蒙活動を行うようになった。こうしたことが積み重ねられ軍事独裁に反対する勢力が拡大していった。このような社会の動きが1973年10月14日、タマサート大学の学長サンヤー・タンマサックを首相に押し上げ、軍事政権から民主主義国家へと移行した。しかし、保守派と右翼が大学を中心とする改革派との対抗姿勢を強め、学生や改革派市民を右翼が継続的に襲撃し、1976年10月6日に頂点に達し、大学構内で多くの学生が銃撃され暴力を受け死亡した(タマサート大学虐殺事件)。周りを警察や軍隊が取り巻いていた。タイはまた軍事政権に逆戻りするが、大学ではその後も民主主義運動が継続され、1988年に再度民主化を勝ち取った。その後も大学では、民主主義と言論の自由を重んじる校風が維持されており、伝統となっている。〔大島新人「タサート大学」/綾部恒雄・林行夫編著『タイを知るための60章』明石書店 2003年 225-227ページ〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タンマサート大学」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thammasat University 」があります。 スポンサード リンク
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