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ピート・フィフィタ(''Alipate "Pate" Fifita''、1982年10月15日 - )は、トンガ王国のプロレスラー。現在はタマ・トンガ(''Tama Tonga'')のリングネームで新日本プロレスにて活動している〔。 父親は大相撲・朝日山部屋出身の元力士であり、アメリカのWCWやWWFで活躍したキング・ハク。弟はWWEでカマーチョのリングネームで所属していたタンガ・ロアことテヴィタ・フィフィタ。 == 来歴 == === キャリア初期 === 父であるキング・ハクからレスリングの英才教育を施され、その後、チーム3Dアカデミーに入門。卒業後はフロリダ州を拠点とするインディー団体であるWXW(''World Xtreme Wrestling'')を中心に活動。WXWでは弟であるテヴィタ・フィフィタとサンズ・オブ・トンガ(''Sons of Tonga'')なる兄弟タッグチームを結成してピートはカヴァ(''Kava'')、テヴィタはヌクのリングネームとして活動した。2009年2月にヌクがWWEと契約を交わしてWXWから脱退してからは、アフロ・ボーイを新たな相棒として、サンズ・オブ・トンガを継続するも、WXWタッグ王座を獲得するに至らなかった。アフロ・ボーイとタッグを決別すると、同年5月よりシングルプレーヤーへと転向。WXW TV王座へと照準を絞り、6月20日にWXW TV王者であるリチャード・J・クライアドに挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。 2010年1月、プエルトリコのメジャー団体であるWWCにて、キング・トンガ・ジュニア(''King Tonga Jr.'')のリングネームで参戦。同月30日にカルリートスを相手にデビュー戦を行い勝利した。2月よりアイドル・スティーブンスとアメリカン・ファミリー(''American Family'')なるタッグチームを結成し、サンダー & ライトニングとWWC世界タッグ王座を巡って抗争を開始。4月3日の王座戦では敗戦するが、翌4日にサンダーを襲撃して負傷欠場に追い込み、2対1のハンディキャップマッチでの王座戦をライトニングに組ませて勝利し、卑怯な手段ながらもベルトを奪取した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピート・フィフィタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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