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タルクィニオ・メールラ : ウィキペディア日本語版 | タルクィニオ・メールラ
タルクィニオ・メールラ(Tarquinio Merula、1594年/1595年 – 1665年12月10日)はバロック時代初期に活躍したイタリアの作曲家、オルガン、ヴァイオリン奏者。主にクレモナで活動していたが、様式のうえからはヴェネツィア楽派に属する。彼は17世紀前半における、もっとも先進的な音楽家の一人で、特に新しいテクニックを積極的に宗教音楽に適用した点が注目される。 ==生涯== メールラはクレモナに生れ、おそらくこの地で音楽の手ほどきをうけ、オルガニストとして雇われたと考えられている。1616年にローディの聖母マリア戴冠教会(S Maria Incoronata)のオルガニストの職を得る。1621年までローディに留まったが、この年、ポーランドのワルシャワへ移り、ジグムント3世の宮廷オルガニストとなった。 1626年、クレモナに帰り、翌1627年、聖堂の楽長(''maestro di cappella'')となるも、ここには4年間しか留まらず、1631年にベルガモの楽長へ転職している。ベルガモでは前任者アレッサンドロ・グランディ(Alessandro Grandi)はじめ、多くの楽員が1630年にイタリア北部の多くの町を襲った黒死病の大流行で亡くなり、メールラは楽隊を再建するために多くの労力をさくこととなった。 その後、メールラは、弟子の一部とのトラブルに巻き込まれ、わいせつ行為で訴えられてしまった。彼はクレモナに再度戻り、そこで1635年までを過ごす。この時期には雇い主ともたびたび問題を起こしていたようで、クレモナの行政当局と幾度も争ったあと、再びベルガモに戻り、前とは別の教会に勤めるも、前任教会の楽員を雇用することは一切禁じられてしまったのであった。1646年、再度、そして最後にクレモナに戻り、1665年に死を迎えるまでラウーディ・デッラ・マドンナ教会(Laudi della Madonna)で勤めた。
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