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タル・ファーロウ(Tal Farlow、本名タルネージ・ホルト・ファーロウ、1921年6月7日-1998年7月25日 )はアメリカ合衆国のジャズギタリスト。圧倒的なテクニックを持ち、主に1950年代に活躍した。 ==経歴== 1923年6月7日にノースカロライナ州グリーンズボロに生まれる。マンドリンをたしなむ父親の影響で9歳からマンドリンを弾き始めた。1940年にラジオから流れるベニー・グッドマン楽団のチャーリー・クリスチャンに触発されてエレクトリック・ギターを買い、クリスチャンのコピーを始める。 若年から始めた看板描きの仕事のかたわら夜は地元のバンドに加わって演奏するうち、1943年からダーダネル・ケンブリッジのトリオに加わる。ニューヨークでチャーリー・パーカーらのビバップに衝撃を受けて1945年にダーダネルのトリオを辞め、いったん故郷へ帰る。 1947年に演奏稼動を再開、バディ・デフランコやマージョリー・ハイアムズのバンド、マーシャル・グラント楽団で演奏した後、1949年にマンデル・ロウの後任としてレッド・ノーヴォ・トリオに参加。ノーヴォ・トリオでの演奏は注目を集めるようになる。トリオを辞めた後アーティ・ショウのコンボであるグラマショー・ファイヴに半年間在籍、その後自身のバンドを結成する。 1954年に初リーダー作『タル・ファーロウ・カルテット』を発表。同年『ザ・タル・ファーロウ・アルバム』、翌1955年に『インタープリテーションズ・オブ・タル・ファーロウ』、自己のトリオを結成してからは1956年に『タル』、『スウィンギング・ギター』を発表する。1958年には『ディス・イズ・タル・ファーロウ』を発表するも、この年に結婚を機に地元に戻り、演奏活動からは退いてしまう。 それから10年後の1968年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで復帰。翌年に『ザ・リターン・オブ・タル・ファーロウ』を発表し、その後も地道に活動を続ける。1998年7月25日に食道ガンによりニューヨークで死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タル・ファーロウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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