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ダイナフェアリーは日本の競走馬。競走馬時代にオールカマー、エプソムカップなど中央競馬の重賞を5勝し、繁殖牝馬としてもサマーサスピション、ローゼンカバリーといった重賞優勝馬を送り出した。20戦中13戦に増沢末夫が騎乗している。 == 経歴 == === 競走馬時代 === *''馬齢は旧表記とする。'' 同期には牝馬三冠馬メジロラモーヌ、ダイナアクトレス等がおり、特に同父で同馬主のダイナアクトレスとは、ダイナの二大牝馬として相互に補完し合うように活躍した。 デビューは3歳8月、函館競馬場の新馬戦で初戦勝利。続く3歳牝馬ステークスではメジロラモーヌから3馬身半差の2着と敗れたが、4歳初戦の京成杯では、この年の皐月賞馬ダイナコスモス、後のマイル王ニッポーテイオー等を破って初重賞を手にした。しかしクラシック初戦の桜花賞で17着と大敗すると以後はマイル〜中距離路線を進み、秋には古馬を抑えて牝馬東京タイムズ杯を制し、二つ目の重賞を制覇した。その後、ダイナアクトレスがエリザベス女王杯を前に戦線離脱したことにより、メジロラモーヌの牝馬三冠を阻止すべく、当初予定になかった女王杯に出走し、4着となった。 5歳以降も中距離重賞路線で活躍したが、ダイナアクトレスが復帰した春のマイルGI安田記念には出走せず、エプソムカップに進みこれを勝利した。夏から秋にかけて新潟記念、オールカマーを連勝。通常ならこの後は天皇賞・秋に進むローテーションだったが、秋緒戦にマイル戦で世界レコードを出したアクトレスが天皇賞へ進み、フェアリーは短距離戦のスワンステークスを経てマイルチャンピオンシップへ進んだ。この競走でニッポーテイオーの5着となって、これを最後に競走馬を引退。繁殖牝馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイナフェアリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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