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ダッハウ強制収容所(ダッハウきょうせいしゅうようじょ、独語:Konzentrationslager Dachau)は、ドイツ・バイエルン州・ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツの強制収容所である〔長谷川、63p〕。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった〔高橋、35p〕〔長谷川、62p〕。「ダハウ強制収容所」と書かれる事もある〔高橋、26p〕。 現在、別館については、難民をはじめとするホームレスの保護施設として使用されている。 == 歴史 == === 創設 === ダッハウ強制収容所は、第一次世界大戦の際に火薬工場として使われていたダッハウの町の廃工場を利用して建設された〔〔リュビー、92p〕。この廃工場とその用地は親衛隊(SS)隊員の兵営にする予定で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権掌握直後に購入した物だった〔。 1933年3月20日にバイエルン州警察長官ハインリヒ・ヒムラーは記者会見を行い、ダッハウ強制収容所の設置を発表した〔〔。3月22日にダッハウの運営は開始された〔。この収容所は当初からSSによって運営され、ヒルマール・ヴェケルレ(:de:Hilmar Wäckerle)SS中佐が初代所長に就任した。3月23日に最初の収容者として60人の政治犯が送られてきた〔長谷川、64p〕。 当初はかなり無法状態で、1933年5月には収容されていたドイツ共産党代議士が4名殺害されたため、ミュンヘン検察局が捜査に乗り出し、ダッハウ所長ヴェケルレSS中佐が殺人罪で告発された〔〔。これを受けてヒムラーは1933年6月末にヴェケルレSS中佐を解任し、新しい所長としてテオドール・アイケSS上級大佐を任じた〔〔高橋、36p〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダッハウ強制収容所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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