翻訳と辞書
Words near each other
・ ダフネ (リヒャルト・シュトラウス)
・ ダフネ (小惑星)
・ ダフネコンプレックス
・ ダフネトキシン
・ ダフネ・アクハースト
・ ダフネ・オラム
・ ダフネ・ギネス
・ ダフネ・グリーングラス
・ ダフネ・シパーズ
・ ダフネ・ズニーガ
ダフネ・デュ・モーリア
・ ダフネ・ルービン=ヴェガ
・ ダフネ・ローゼン
・ ダフネ級潜水艦
・ ダフラ
・ ダフラク海洋国立公園
・ ダフラク語
・ ダフラク諸島
・ ダフリア
・ ダフリアカラマツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ダフネ・デュ・モーリア : ウィキペディア日本語版
ダフネ・デュ・モーリア

ダフネ・デュ・モーリア (Dame Daphne du Maurier,DBE, 1907年5月13日 - 1989年4月19日) はイギリス小説家アルフレッド・ヒッチコックの撮影した『レベッカ』と『』の原作者として知られる。
1969年、大英帝国勲章のナイト・コマンダーの勲位を得た。
== 生い立ち ==
1907年5月3日にロンドンで、三人姉妹の次女として生まれた。父は俳優のジェラルド・デュ・モーリア、母は女優のミュリエル・バーモント 。祖父は作家風刺漫画家のジョージ・デュ・モーリア。〔''du Maurier, Daphne | Richard Kelly (essay date 1987)'' , "The World of the Macabre: The Short Stories," in ''Daphne Du Maurier'', Twayne Publishers, 1987, pp. 123-40.〕
1932年、イギリス陸軍少佐(後に中将)のフレデリック・ブラウニングと結婚。2人の娘と1人の息子を育てた。
子どもの時に遊びに行って一目で気に入ったコーンウォールで人生の大半を過ごす。1943年から1969年まで『レベッカ』の舞台であるマンダレー屋敷のモデルとなった〔英国政府観光庁 - ダフネ・デュ・モーリアゆかりの地 〕フォーイ(Fowey)近郊のメナビリー屋敷(Menabilly)を借りていた。1989年4月19日に81歳で亡くなった。デュ・モーリアの遺志により、遺体は火葬された。
その死後、バイセクシャルだったのではないかという議論が起こった。
2006年、'And His Letters Grew Colder' という1920年代後半に書かれたと思われる未発表作品が発見された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダフネ・デュ・モーリア」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.