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チア・シム(Chea Sim, 1932年11月15日 - 2015年6月8日)はカンボジアの政治家。内戦時代は親ベトナム政権の国会議長、国家元首を務めた。内戦後、カンボジア王国元老院(上院)議長。カンボジア人民党議長(党首)。 == 経歴 == === 革命闘争時代 === チア・シムは1932年、フランス統治時代のカンボジア・スヴァイリエン州 Romeas Hek 郡の農家の三男として生まれた。子供の頃は地元の寺院学校に通い、まもなく出家して僧侶となり、仏教中学を卒業した。 1951年、クメール・イサラク運動に参加し、カンボジア独立の為に旧宗主国フランスと闘った。1954年のジュネーヴ協定による休戦後は、クメール人民革命党(後のクメール・ルージュ)に参加し、Ampil 村の党支部書記を務めた。1959年にはスヴァイリエン州の責任者となり、1966年には Kam Chay Mean 郡の党幹部となる。1970年、Po Near Krek 郡党書記。 「民主カンプチア」(クメール・ルージュ政権)成立後の1976年、東部地域第20地区党執行部委員。1978年、第20地区党書記に就任。 しかし、1978年からポル・ポト中央指導部による東部地域の粛清が本格化し、5月頃には精鋭軍を投入しての殲滅作戦が開始された。チア・シムはクメール・ルージュと決別し、ジャングルに潜伏してゲリラ戦で応戦したが、まもなくベトナムに逃れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チア・シム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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