|
ロリス・チェクナヴォリアン(Loris Tjeknavorian、 、1937年10月13日 - )は、イラン出身のアルメニア人指揮者・作曲家。 ==経歴== アルメニア人の両親の元、イラン南西部ブルージェルドに生まれ、テヘランに学ぶ。1954年からオーストリアのウィーン音楽アカデミーに移り、同期のズービン・メータなどとともに指揮法をハンス・スワロフスキーに学ぶ。1961年にテヘランの音楽資料館の館長に就任し、イラン周辺の民俗音楽の資料収集に携わる。1963年にオーストリアに戻り、ザルツブルクのモーツァルテウムでカール・オルフに師事する。1965年にはグルベンキアン財団の給費生としてミシガン大学に留学し、その後、ムーアヘッドのコンコルディア・カレッジのレジデント・コンポーザー、ムーアヘッド州立カレッジ(現・ミネソタ州立大学ムーアヘッド校)の准教授、セントラル・ミネソタ夏期音楽アカデミーの学長などを務める。 1972年にテヘランの歌劇場の首席指揮者に就任しイラン建国2500年祭のための音楽等を作曲したが、1974年頃からはイギリスでの活動が増え、1978年にロンドンでアルメニア音楽祭を開催している最中にイラン革命が起きたことで、活動の拠点をロンドンに移す。 1989年にアルメニア・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督ならびに首席指揮者に就任。アルメニア地震での甚大な被害とソ連崩壊やアゼルバイジャンとの紛争などで経済的に疲弊していたアルメニアで、指揮台にほぼ毎週登場し続けることで、楽団のみならずアルメニア国民全体を鼓舞した。同楽団とは積極的に海外公演や録音活動を行い、また世界中にいるアルメニア系移民などに窮状を訴え寄付を募ることによって、オーケストラの財政状況の好転に努めた。 1972年にアメリカのソプラノ歌手リンダ・ピアスと結婚している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロリス・チェクナヴォリアン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Loris Tjeknavorian 」があります。 スポンサード リンク
|