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チェルヴェンの諸都市[ちぇるう゛ぇんのしょとし] チェルヴェンの諸都市()とは、ルーシの年代記(レートピシ)において用いられた、ブク川(西ブフ川)上流、ストィル川上流の諸都市に対する総称である〔Червенские города // Энциклопедический словарь 〕。名称は該当都市の中の1つのチェルヴェン(ru)に由来する。 ==歴史== チェルヴェンの諸都市は、キエフ大公国とポーランド王国の間において、しばしば紛争の火種となった。年代記上の初出は981年の記述であり、キエフ大公ウラジーミル1世がポーランド人から奪取した〔Червенские города // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(ブロックハウス・エフロン百科事典)〕。その後1018年に〔A. Buko. "The archaeology of early medieval Poland". Brill. 2008. 〕、スヴャトポルク(スヴャトポルク1世)がキエフ大公位を奪還するための支援を受けたことの返礼として、ポーランド公ポレスラフ(後にポーランド王ボレスワフ1世)に返還した。さらに1301年には、マゾフシェ征服への支援への交換条件として、再びルーシ側に返還された。キエフ大公国の分裂期(ru)には、チェルヴェンの諸都市はヴォルィーニ公国(後にガーリチ・ヴォルィーニ公国)の支配圏にあった。14世紀には再びポーランド王国領となり、紅ルーシ()という名称で呼ばれるようになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チェルヴェンの諸都市」の詳細全文を読む
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