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チェローナ : ウィキペディア日本語版
ハイメ・アルベルト・ロドリゲス

ハイメ・アルベルト・ロドリゲス(Jaime Alberto Rodríguez , 1960年1月17日 - )は、エルサルバドル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(リベロ)。愛称はチェローナ(Chelona)で、日本ではそれが登録名にもなっていた。
== 来歴 ==
16歳でアリアンサFCとプロ契約、以来ドイツ、メキシコ、フィンランドの海外のクラブを渡り歩いた。1982年にエルサルバドル代表に選出され、同年のワールドカップ・スペイン大会を始め1990年までに50試合に出場した。
1991年秋に日本でのプレーを希望し来日。当初はJリーグに参加予定だった日産自動車の練習に参加〔。当時監督だった清水秀彦は彼のリベロとしての能力に注目し、「オスカー(元ブラジル代表主将)以上かもしれない」と評した〔。しかし日産には井原正巳柱谷哲二らセンターバックの有望株が在籍していた上、翌年には小村徳男の加入も控えていたために獲得は見送られ、最終的に日本サッカーリーグ2部NKKに入団した〔。NKK入りが決まると、母国の国民的英雄ということもあり、エルサルバドルの国営放送のクルーが送り込まれた〔。活躍が認められ翌1992年にJリーグ横浜フリューゲルスへ移籍〔。加茂周監督の下でゾーンプレスを志向するチームの中心選手として期待されたが〔、1年目は怪我、2年目は外国人枠の関係で出場機会は少なかった。
帰国後は引退試合サンサルバドルロサンゼルスで開催され、後者の試合は現地のエルサルバドル人出稼ぎ労働者が集まり4万人ものファンが来場した〔。
アリアンサFCの監督〔、エルサルバドル代表のアシスタントコーチを経て、2009年6月に(INDES) の会長に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハイメ・アルベルト・ロドリゲス」の詳細全文を読む



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