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チカソーバイユーの戦い : ウィキペディア日本語版
チカソーバイユーの戦い[ちかそーばいゆーのたたかい]

チカソーバイユーの戦い(チカソーバイユーのたたかい、、またはウォルナットヒルズの戦い、〔The National Park Service battle description gives a third alternative name, Chickasaw Bluffs. Although this may be derived from a variation on "Bluffs over Chickasaw Bayou" (referring to Drumgould's Bluff), the geographic location known as Chickasaw Bluffs is distant from the battlefield. Other references to this article do not use this name.〕)は、南北戦争1862年12月26日から29日、ビックスバーグ方面作戦の緒戦となった戦闘である。ジョン・C・ペンバートン中将が指揮する南軍が、ウィリアム・シャーマン少将が指揮して前進してきた北軍を撃退した。北軍はミシシッピ州ビックスバーグの攻略を目指していた。
12月26日、シャーマン指揮下の3個師団がヤズー川岸ジョンソンのプランテーションで上陸し、ビックスバーグの防衛線に北東から接近した。一方4個目の師団がさらに上流で12月27日に上陸した。12月27日、北軍は強固な防衛線が張られているウォルナットヒルズに向かう湿地を抜けて、その前線を押し出した。12月28日、これら防衛線に対して攻撃が仕掛けられたが、実を結ばなかった。12月29日、シャーマンが正面突破を命令したが、大きな損失を出して撃退され、撤退した。この南軍の勝利で、北軍ユリシーズ・グラント少将が目指す直接攻撃によるビックスバーグ攻略の試みが躓くことになった。
== 背景、対戦した戦力 ==

1862年11月から、ミシシッピ州の北軍を指揮するユリシーズ・グラント少将は、ビックスバーグ市を攻略する作戦を始めた。ビックスバーグはミシシッピ川に面した高い崖の上にあり、南軍にとっては強固な防衛拠点2つの1つだった(もう1つはルイジアナ州ポートハドソン)。この要塞があることで、ミシシッピ川を北軍が完全に支配することを妨げていた。グラントは総勢7万名の軍隊を2つに分けた。1つは自分で指揮し、もう1つはウィリアム・シャーマンに任せた。シャーマンは右翼すなわちテネシー軍第13軍団を担い、12月22日に第15軍団と改組した。総勢は32,000名であり、アンドリュー・J・スミス、モーガン・K・スミス、ジョージ・W・モーガン、フレデリック・スティール各准将が指揮する4つの師団に編成された〔Eicher, p. 390; Bearss, pp. 227–29.〕。
グラントの翼はミシシッピ中央鉄道を南に下り、ホリースプリングスで前進基地を構築した。ビックスバーグには2方向からの攻撃を計画していた。シャーマン軍が川沿いに下ると、グラントは残った軍(約4万名)を鉄道線に沿ってオックスフォードまで下らせ、グレナダの近くで自軍を攻撃するためにビックスバーグ市内から南軍を誘き出すことを期待し、展開を待つことにした〔Eicher, p. 390; Korn, p. 57.〕。
海軍准将デイビッド・ディクソン・ポーターが指揮する砲艦7隻と輸送艦59隻が12月20日にテネシー州メンフィスを発ち、アーカンソー州ヘレナで停船して別働隊を積み、12月24日にビックスバーグ上流のミリケンズベンドに到着した。ヤズー川を上った後、ビックスバーグ市の北、スティールズバイユーの対岸にあるジョンソンのプランテーションで、輸送船がシャーマンの部隊を降ろした(上陸に先立って、北軍海軍がヤズー川で機雷掃海操作を行い、その間に装甲艦USS''カイロ''が沈んだ)〔Kennedy, pp. 154–55, Eicher, p. 390.〕。
シャーマン軍の前進に対抗する南軍は、ジョン・C・ペンバートン中将が指揮するミシシッピ・東ルイジアナ方面軍であり、ペンバートンはペンシルベニア州の出身でありながら、南軍のために戦う道を選んでいた。ビックスバーグ市を守る軍の直接の指揮官はマーティン・L・スミス少将であり、その下にセス・M・バートン、ジョン・C・ボーン、ジョン・グレッグ、エドワード・D・トレイシー各准将の指揮する4個旅団があった。スティーブン・D・リー准将が暫定師団を指揮し、その下にはウィリアム・T・ウィザーズ、アレン・トマス各大佐の指揮する旅団が付いた。リーがウォルナットヒルズの防衛軍を守る主要指揮官だったが、12月29日遅くにはカーター・L・スティーブンソン少将が到着して指揮官となった。北軍はその前面にいる南軍と比較して2対1(30,720名対13,792名)と優勢だったが、その前には自然が造ったものと人間が造った防御物双方の恐ろしい迷路があった。先ずは木が厚く絡み合ったところであり、その間にところどころ沼地があった。チカソーバイユーは、胸の深さまである水流であり、幅は50ヤード (45 m)、木が岸まで迫り、シャーマン軍にとっては、計画される前進線に並行しているので、部隊間の通信を妨げる恐れがあり、障害物として機能する可能性があった。さらに南軍は逆茂木のために切り倒した木を使って防御線を造っていた〔Eicher, p. 390; Bearss, pp. 224–26; Kennedy, p. 156; Ballard, pp. 131–33.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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