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チカーノ・ナショナリズム : ウィキペディア日本語版
チカーノ・ナショナリズム
チカーノ・ナショナリズムChicano nationalism)とはチカーノの民族派のイデオロギーである。1960年代1970年代にはチカーノ運動の民族主義的な様相があったが、この運動はナショナリズムよりむしろ公民権と政治的社会的一体性を重視する傾向にあった。このため、チカーノ・ナショナリズムは政治運動としてよりもイデオロギーとしてよく記述されている。
==背景==

メキシコ系アメリカ人は、アメリカ合衆国との併合以前にアメリカ合衆国南西部に居住していた歴史を持ち、南北戦争以来すべてのアメリカの戦争に従軍し、南西部の文化と経済に貢献したにもかかわらず、差別、人種分離、暴力にまでも直面し続けた。
メキシコ系アメリカ人に対する差別は1950年代1960年代になっても続いていた。多くの団体、企業、ホームオーナーズ・アソシエーションは、メキシコ系アメリカ人を除外する公式の方針を持っていた。アメリカ南西部の多くの地域では、法律や不動産会社の方針が原因で、メキシコ系アメリカ人達は隔離された居住区に住んでいた。「赤線引き」として知られるこれらの法律や方針はれっきとした人種分離の考えに値するが、1950年代まで続いていた。
その他の多くの場合でも、メキシコ人を白人社会から締め出すべきだという社会理念が一般的であった。例えば1960年代に入ってしばらく経ってからでさえ、まだ南西部のあちこちで「犬とメキシコ人お断り」という看板が小さな店舗や公共プールなどによく掲げられていた。
メキシコ系アメリカ人コミュニティのメンバーには、白人との同化は可能か、ましてや同化は望ましいことか、という疑問を持ち始める者がいた。それと同時に、とくに窮状にあえぐ農場労働者の若者の間で、民族意識と団結意識が強まっていった。また一部のメキシコ系アメリカ人は、民族の誇りの象徴として自身を「チカーノ」と呼び始め、民族の歴史を見いだし、公立学校で学んだ事を批判的に分析し始めた。この新しいアイデンティティと歴史感覚を持ったチカーノ運動の初期の主唱者らは、自らを民族自決権利を与えられた植民地の人間だと考え始めた。主唱者の一部には、アメリカ合衆国政府がグアダルーペ・イダルゴ条約によって合意された約束を守っていないという認識があり、ナショナリズムという形を受け入れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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