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チック・ドノバン(Chick Donovan、本名:Charles Donovan Kelley、1947年3月7日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ジョージア州ラグレンジ出身〔。 ザ・ゴールデン・ボーイ(The Golden Boy)の異名を持つ金髪ヒールとして、テネシーやアラバマなど南部のローカル・テリトリーを主戦場に活動した。リック・フレアーのスタイルをコピーしていたことから、日本では「小型フレアー」などとも呼ばれた。 == 来歴 == アメリカンフットボールで活動後、1977年に30歳でデビュー〔。TVマッチ要員のベビーフェイスとして、地元のNWAジョージア地区(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)において、スタン・ハンセン、マスクド・スーパースター、キングコング・モスカ、オレイ・アンダーソン、ブラックジャック・ランザ、キラー・カール・コックス、アーニー・ラッド、イワン・コロフ、アレックス・スミルノフ、オースチン・アイドル、そしてスターリング・ゴールデンと名乗っていた若手時代のハルク・ホーガンらのジョバーを1980年初頭まで務めた。 1980年7月よりロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングにおいて、金髪のロングヘアに金色のコスチュームをまとったヒールに転向、オリンピック・オーディトリアムではジョン・トロスやミル・マスカラスとも対戦した。以降、"ザ・ゴールデン・ボーイ" チック・ドノバンを名乗り、リック・フレアーのギミックをコピーした伊達男系ヒールとなって活動。1981年からはテネシー州メンフィスのCWAを主戦場に、悪党マネージャーのジミー・ハート率いるファースト・ファミリーの一員となり、ジェリー・ローラー、ビル・ダンディー、スティーブ・カーン、ダッチ・マンテル、ロバート・ギブソンらと抗争を展開した。 1983年3月、全日本プロレスに初来日。同月27日に後楽園ホールにて大仁田厚のNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦したほか、ジャンボ鶴田や天龍源一郎ともシングルマッチで対戦した。帰国後はアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングに参戦、7月から8月にかけて、トミー・ロジャースやリッキー・ギブソンを破ってNWA USジュニアヘビー級王座を2回獲得している。 1984年はベビーフェイスのポジションでテキサス州ダラスのWCCWに登場し、ミッシング・リンク、スーパー・デストロイヤー2号、バディ・ロバーツ、キラー・カーン、ジノ・ヘルナンデス、ジム・ガービンなどと対戦。その後はヒールに戻り、1985年2月19日にはジム・クロケット・プロモーションズのTVテーピングにおいてリック・フレアーとのシングルマッチが行われ、3月24日には古巣のジョージアにてマグナムTAのNWA USヘビー級王座に挑戦した。 1987年はメンフィスのCWAに再登場し、4月20日にソウル・トレイン・ジョーンズを破ってCWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。5月4日にはジャック・ハート(バリー・ホロウィッツ)と組んでジョーンズ&ロッキー・ジョンソンからAWA南部タッグ王座も奪取している。 以降、1980年代後半はリップ・タイラーがメキシコ湾岸のガルフ・コースト地区で旗揚げしたWOW(ワールド・オーガニゼーション・レスリング)などに出場していた。セミリタイア後の1990年代前半はWCWのTVテーピングにジョバーとして時折出場、1992年11月2日にはアメリカ遠征中だった佐々木健介とも対戦した。 2000年代後半に入り、地元のジョージアやアラバマなどサウスイースト地区のインディー団体へのスポット参戦を開始、2006年2月3日にはNWAレッスル・バーミンガムのイベントにおいて、エイドリアン・ストリートとのレジェンド対決が行われた。2010年代も、ジョージア州キャロルトンに本拠を置くPWA(ピーチステート・レスリング・アライアンス)などに出場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チック・ドノバン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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