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チフス饅頭事件(チフスまんじゅうじけん)は、1939年に兵庫県神戸市でチフス菌入りの饅頭が医師宅に送られ、食した12人がチフスに感染し、うち1名が死亡した事件。 == 事件の発生== 1939年5月に、神戸市立川池小学校(現・会下山小学校)の女性職員が自宅から持ってきたかるかん饅頭を同校の教師たちに配り、みなで食べたところ、9名がチフスを発病。持参した職員とその兄弟2名も発病し、弟のほうが5月15日に死亡した。職員の兄は舞子病院の副院長を務める医師で、饅頭は元患者の名前で医師宅に送られてきたものだった。 == 犯人逮捕と動機== チフス菌の入手可能経路などを調べた結果、副院長の未入籍の妻でY内科医院の女医Hが浮かび上がった。Hは犯行を認め、6月5日に逮捕され橘通刑務支所に収容された〔『日本刑罰史年表』 重松一義 2007 p248〕。Hは1924年に東京女子医専(現・東京女子医科大学)を卒業して医師になり 細菌研究所に出入りしていた。 供述によると、Hが神戸市立市民病院に在職中、当時まだ医学生だった一つ年下の副院長と恋仲になった〔『昭和史全記錄』毎日新聞社、1989 p204〕。副院長が博士号を得て医師になったら結婚する約束で、Hは実家に戻って医師として働き、5年間毎月学資を仕送りし続けた。晴れて医師になった副院長のもとへHが駆け付けたところ、冷たい仕打ちをされ、副院長の家族からも離縁を言い渡された。副院長の妹からは「H姉さんは賢者としては偉いかもしれないけど、家庭人としてはゼロだ」と罵倒されたとも言う〔。恨みを持ったHは4月25日に大丸百貨店でかるかん饅頭1箱を買い、培養したチフス菌を注射器で饅頭に仕込み、偽名で副院長宅に送った。副院長は実弟とこれを食べ、残りを実妹が職員として勤務していた小学校へ持っていった。 == 事件後== 連日新聞で盛んに報道され、一大事件として世間を騒がせた。とくに女性の間では被害者一家よりもHへ同情する声が多く、減刑嘆願を訴える声も上がった。裁判でH側は、犯行は副院長に肉体的・精神的・経済的苦痛を与えたかっただけであり、チフス菌感染の死亡率は18~20%と低く、殺意はなかったと主張した。神戸地方裁判所は同情の余地があるとして、無期懲役に対し、懲役3年を言い渡した〔著 (法令文化協会、1944) 〕。 == 脚注 == 〔 == 参考文献== *澤地久枝『完本 昭和史のおんな』(文藝春秋) *別役実『当世病気道楽』 (ちくま文庫) == 外部リンク== * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チフス饅頭事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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