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チベット十三万戸 : ウィキペディア日本語版
チベット十三万戸[ - じゅうさんばんこ]
チベット十三万戸( - じゅうさんばんこ)はチベット語で「プー・ティコル・チュクスム(bod khri skor bcu gsum)」、中央チベットもしくはチベット全土の総称として用いられるチベットの地理的区分法式の一つ。単に「十三万戸(ティコル・チュクスム)」とも。モンゴル帝国期、チベット各地の有力領主たちが万戸制に基づく「ティ・プン」(万戸長)に任じられたことに由来する呼称。
== モンゴル帝国期に配置された万戸府の所在 ==
モンゴル帝国は、服属したチベットの諸侯を、サキャクン氏に統括させ、大小の領主に「ティプン」その他の大小の官職をあたえた。チベットは、名目上、帝師もしくは国師として大ハーンに近侍するサキャ寺の座主を長官とし、「仏教の僧侶と信者および吐蕃の領域を管轄し、これを統治する」ことを職務とする宣政院の下、いくつかに区分された。うち、中央チベットの烏思蔵・納里速古魯孫(ウーツァン、ガリ・コルスム)等三路宣慰使司属下の万戸府として、『元史』巻八七には11の万戸が列挙されているが、後述する、のちのチベット文献に登場する万戸の所在とは一致しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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