翻訳と辞書
Words near each other
・ チャールズ・E・サルツマン
・ チャールズ・E・シルバーマン
・ チャールズ・E・ヒューズ
・ チャールズ・E・ボーレン
・ チャールズ・E・ラフリン
・ チャールズ・E・リンドブロム
・ チャールズ・F・アダムズ
・ チャールズ・F・アダムズ (ミサイル駆逐艦)
・ チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦
・ チャールズ・F・アダムズ級駆逐艦
チャールズ・F・スミス
・ チャールズ・F・ブラナン
・ チャールズ・F・ワレン
・ チャールズ・G・ドーズ
・ チャールズ・H・ジョフィ
・ チャールズ・H・ストラブステークス
・ チャールズ・H・タウンズ
・ チャールズ・H・パーシー
・ チャールズ・H・ボーンスティール3世
・ チャールズ・J・ギトー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

チャールズ・F・スミス : ウィキペディア日本語版
チャールズ・F・スミス[ちゃーるずえふすみす]

チャールズ・ファーガソン・スミス(英:Charles Ferguson Smith、1807年4月24日-1862年4月25日)は、アメリカ陸軍の職業軍人であり、米墨戦争に従軍し、南北戦争では北軍の将軍だった。
== 生い立ちと初期の経歴 ==
スミスはペンシルベニア州フィラデルフィアで、軍医の息子として生まれた。1825年に陸軍士官学校を卒業し、第2アメリカ砲兵連隊の少尉に任官した。平和時の軍隊では緩りと階級を昇進していったが、教官としてウェストポイントの士官学校に戻り、中尉として陸軍士官学校長に指名され、その職を1838年から1843年まで務めた。
米墨戦争ではザカリー・テイラーウィンフィールド・スコット両将軍の下で仕え、パロ・アルトの戦いレサカ・デ・ラ・パルマの戦いモンテレーの戦いおよびチュルブスコの戦いで、砲兵大隊の指揮官として頭角を現した。これらの戦闘における貢献で少佐から大佐まで名誉昇進を果たし、終戦時には正規軍の中佐になった。終戦から1848年までメキシコシティで警備隊に務めた。1856年から1857年ミネソタ州でレッド川遠征隊を指揮し、1857年から1860年アルバート・ジョンストン将軍の下でユタ準州の任務に就き、1860年から1861年は自らユタ方面軍を指揮した。南北戦争の開始時点ではほんの短期間メリーランド州のワシントン砦に駐屯するワシントン方面軍を指揮した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャールズ・F・スミス」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.