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チャールズ・F・スミス : ウィキペディア日本語版 | チャールズ・F・スミス[ちゃーるずえふすみす]
チャールズ・ファーガソン・スミス(英:Charles Ferguson Smith、1807年4月24日-1862年4月25日)は、アメリカ陸軍の職業軍人であり、米墨戦争に従軍し、南北戦争では北軍の将軍だった。 == 生い立ちと初期の経歴 == スミスはペンシルベニア州フィラデルフィアで、軍医の息子として生まれた。1825年に陸軍士官学校を卒業し、第2アメリカ砲兵連隊の少尉に任官した。平和時の軍隊では緩りと階級を昇進していったが、教官としてウェストポイントの士官学校に戻り、中尉として陸軍士官学校長に指名され、その職を1838年から1843年まで務めた。 米墨戦争ではザカリー・テイラー、ウィンフィールド・スコット両将軍の下で仕え、パロ・アルトの戦い、レサカ・デ・ラ・パルマの戦い、モンテレーの戦いおよびチュルブスコの戦いで、砲兵大隊の指揮官として頭角を現した。これらの戦闘における貢献で少佐から大佐まで名誉昇進を果たし、終戦時には正規軍の中佐になった。終戦から1848年までメキシコシティで警備隊に務めた。1856年から1857年のミネソタ州でレッド川遠征隊を指揮し、1857年から1860年はアルバート・ジョンストン将軍の下でユタ準州の任務に就き、1860年から1861年は自らユタ方面軍を指揮した。南北戦争の開始時点ではほんの短期間メリーランド州のワシントン砦に駐屯するワシントン方面軍を指揮した。
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