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チャールズ・N・リー : ウィキペディア日本語版
チャールズ・N・リー[ちゃーるずえぬりー]
チャールズ・N・リー(、1940年生まれ)は、中国出身のアメリカ合衆国言語学者。中国での名前は李訥(〔『The Bitter Sea』の中で「Na」と書いてあるのに従う。「訥」字は と読む方が標準的。〕)だが、論文は英語名で発表している。
言語類型論に関する多くの論文がある。また、現代中国語文法書『Mandarin Chinese』でも知られる。
== 生涯 ==
リーが渡米するまでの経緯は自伝『The Bitter Sea』に詳しく書かれている。それによると、リーは日中戦争中に6人兄弟の末っ子として上海で生まれ、幼少期を南京で過ごした。父の李聖五汪兆銘政権の部長(大臣)であり、戦後は漢奸として懲役15年の刑を受けたが、国共内戦の激化した1948年に釈放され、香港に移住した。父が刑務についている間、リーは上海のおばのもとで過ごしたが、中華人民共和国成立後の1950年に香港にいる家族に合流した。1957年に中華人民共和国の大学に入学するために広州に入るが、漢奸の息子であるために入学することはできず、香港に戻って崇基学院(香港中文大学の前身のひとつ)に入学した。
1961年に渡米してボードン・カレッジに入学した。卒業後スタンフォード大学に移り、1971年にカリフォルニア大学バークレイ校の博士号を取得した。カリフォルニア大学サンタバーバラ校の言語学教授をつとめたが、現在は退官している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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