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チョ奉岩[ちょ ぼんあむ]
曺 奉岩(チョ・ボンアム/そうほうがん 1894年9月25日 - 1959年7月31日)は、朝鮮の独立運動家、のちに韓国の政治家。号は竹山。社会民主主義者で、第一共和国時代における革新政党である進歩党の委員長を務めた。名字の「チョ」は真ん中の字が曲「曹」ではなく由「曺」。 == 経歴 == 京畿道江華郡(現在の仁川広域市)出身。農業補習学校を卒業し郡庁の職員として働くが、三・一独立運動に参加して投獄される。釈放後の1921年に日本へ留学し、中央大学で一年間政治学を学び、朴烈らと共に在日朝鮮人による社会主義団体「黒濤会」を結成した。帰国後、朴憲永と共に朝鮮日報記者を勤めながら新興青年同盟・火曜会などで活動。 1925年の朝鮮共産党結成に参加し、中国や朝鮮で独立運動に身を捧げた。コミンテルンなどでの活動経験ももつ。 解放後は左翼の立場で運動していたが、1946年6月に米軍に拘束されると反共の姿勢を鮮明にする。1948年5月10日に南朝鮮単独で行われた制憲議会議員選挙に立候補して当選。選挙後の8月2日には李承晩大統領によって農林部長官に任命されている(翌1949年2月22日まで在任)。その後1950年、第2代国会副議長に選出され、1952年に行なわれた大統領選挙に立候補するが落選。続く、1956年の大統領選挙では、前回より3倍近い得票を獲得し善戦した。そして、同年11月10日に進歩主義勢力を集合した進歩党を結成し、平和統一をスローガンに李承晩政権に敢然と挑戦するようになった。 これに脅威を感じた李承晩は、第4代国会議員選挙を前にした1958年1月、北朝鮮から選挙資金を受け取っていたとして国家保安法違反容疑で曺奉岩を逮捕し、翌年7月に処刑した(進歩党事件)。民主党など保守系野党も、進歩党を危険視しており、曺奉岩の処刑が政治問題化されることはなかった。当時の韓国の政治評論家は、「最初から赤化統一を公言すればよかったのだ。平和統一などとグレーゾーンを主張するから疑惑を招いたのだ」と酷評した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チョ奉岩」の詳細全文を読む
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