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親日派(しんにちは)とは、一般に、親日の外国人を指す。この意味における「親日派」については「親日」「知日派」を参照のこと。 ここでは韓国と北朝鮮の2国における差別対象、処罰対象である親日派(チニルパ、, )について述べる。韓国と北朝鮮の2国においては、「親日派」は彼らの主張するところの歴史的経緯から反民族行為者、売国奴などの否定的な意味合いで使用される。また、政治的意味合いは無いものの否定的意味合いを持つ「日本のアイドルやアニメなどの熱狂的なファン、オタク」という意味では「イルパ(일빠)」と言う語が用いられる。日流も参照。 == 朝鮮語における親日派 == === 由来 === 日本・外務省外交史料館等の資料を検索する限り、朝鮮半島地域において明治後期から大正、昭和(終戦前)までは現在の親日派の意味での報告は無い〔倭大臣、倭臣等称されていた記述がある。ここでいう倭(わ、ウェ、)とは文化の遅れたことを含む日本への蔑視表現である。〕。初代韓国大統領李承晩政権の施行した反民族行為処罰法(1948年9月 法第3号)に代表される猛烈な反日キャンペーン〔例えば親日派と認定された洪思翊の長男である洪国善氏は早稲田大学を卒業後、朝鮮銀行に勤務していたが、当時の李承晩大統領の直接命令により、辞職させられている。〕によって親日派=反民族行為者認定と排斥から発生し〔関連文書では当初反民族行為とあり親日派という表現とはなっていない。参考文献「朝鮮の親日派-緑旗連盟で活動した朝鮮人たち-」(著 高崎宗司)を参照。〕、1960年代に活躍した在野の研究者林鐘國の『親日文學論』で明確な親日行為と親日派の定義を与えているのが韓国出版物での初見である。なお、林鐘國の遺志を継ぎ設立されたのが民族問題研究所、及び統一時代民族文化財団とその傘下の親日人名辞典編纂委員会〔 親日人名事典編纂委員会委員長の李万烈が第1次国民公聴会(2001年12月2日)で発表した親日派の定義は親日派の概念と範疇 (日本語翻訳)を参照。これによると1940年代に作成された北朝鮮の民主主義民族戦線の親日派規定が概念と範疇定義の起源と思われる。〕であり、盧武鉉大統領指名の政府委員会である親日反民族行為真相糾明委員会とも構成人員で重複している部分がある。また、同委員会の構成員の中に父親が旧陸軍の憲兵だったなど親日派を糾弾するには余りに杜撰すぎる編成、そして事後法ではないかという批判も根強い。 親日派研究として李光洙等の研究が本格化するのは1990年代に入ってからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「親日派」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chinilpa 」があります。 スポンサード リンク
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