翻訳と辞書
Words near each other
・ ツール・ド・フランス1957
・ ツール・ド・フランス1958
・ ツール・ド・フランス1959
・ ツール・ド・フランス1960
・ ツール・ド・フランス1961
・ ツール・ド・フランス1962
・ ツール・ド・フランス1963
・ ツール・ド・フランス1964
・ ツール・ド・フランス1965
・ ツール・ド・フランス1966
ツール・ド・フランス1967
・ ツール・ド・フランス1968
・ ツール・ド・フランス1969
・ ツール・ド・フランス1970
・ ツール・ド・フランス1971
・ ツール・ド・フランス1972
・ ツール・ド・フランス1973
・ ツール・ド・フランス1974
・ ツール・ド・フランス1975
・ ツール・ド・フランス1976


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ツール・ド・フランス1967 : ウィキペディア日本語版
ツール・ド・フランス1967

ツール・ド・フランス1967は、ツール・ド・フランスとしては54回目の大会。1967年6月29日から7月23日まで、全22ステージで行われた。この年から2年間、チーム単位は国・地域別となった。
==レース概要==

二部構成となった第5ステージにおいてロジェ・パンジョンがマイヨ・ジョーヌを奪う。アルプス超えステージに突入した第7ステージではチームメイトのレイモン・リオッテに一時マイヨを奪われたものの、第8ステージにおいてリオッテが区間優勝のルシアン・エマールに14分51秒の差をつけられる86位と大惨敗を喫したのに対し、パンジョンはエマールに対して1分33秒差にまとめたことから再びマイヨを奪取。
その後のアルプス区間においても徐々に差を広げていくパンジョン。しかしピレネー超え区間に入った第16ステージにおいて、フリオ・ヒメネスが快走を見せ、パンジョンのとの差を2分以上縮めて、2分3秒差の総合2位に浮上。そして、ピュイ・ド・ドームがゴールとなる第20ステージにおいてもヒメネスは差を縮め、ついに1分39秒差となった。
しかしヒメネスの健闘もここまでだった。最終ステージの個人タイムトライアルにおいて、パンジョンはヒメネスに1分16秒の差をつけ、総合優勝を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツール・ド・フランス1967」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.