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ティム・レインズことティモシー・レインズ(Timothy Raines, 1959年9月16日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州セミノール郡出身の元メジャーリーグベースボール選手(外野手)。右投両打。ニックネームは「''Rock''」。 通算808盗塁はリッキー・ヘンダーソン(1406)、ルー・ブロック(938)、ビリー・ハミルトン(912)、タイ・カッブ(892)に次いで5位。盗塁成功率が高く、通算で.867を記録。これはヘンダーソン(.807)、ブロック(.753)、ビンス・コールマン(.810)らよりも高い。 == 人物・来歴 == 1977年のMLBドラフトでモントリオール・エクスポズから5巡目で指名を受けて契約。9月11日にメジャーデビュー。当初は二塁手としても起用されていた(までの間に通算53試合で二塁を守る)が、俊足を生かして外野手に転向。 50日間に及ぶストライキでシーズンが中断されたには、88試合の出場で71盗塁を決めて初のナショナルリーグ盗塁王を獲得。以後まで4年連続で盗塁王を獲得。ビンス・コールマンがデビューした以後はタイトル再獲得はならなかったが、まで6年連続で70盗塁を記録。1986年には打率.334で首位打者を獲得し、シルバースラッガー賞にも選ばれる。 その年のオフにFAとなったが、当時各球団のオーナーが共謀して高額FAとの契約を避けたため、獲得に名乗りを上げる球団はなく、旧所属球団との交渉期限を過ぎたため、それが再び認められる5月1日にエクスポズと再契約。復帰初戦では延長10回表の決勝満塁本塁打を含む4安打4打点と活躍。この年出場したMLBオールスターゲームでは0-0で迎えた延長13回表に、熱戦に終止符を打つ決勝2点タイムリー三塁打を打ってMVPに選ばれた。 にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。頃から徐々に盗塁数が減り、にニューヨーク・ヤンキースに移籍後は出場機会も減った。1996年とにはワールドシリーズ優勝を経験。にはオークランド・アスレチックスに移籍。 は2月にヤンキースと契約したが翌月に解雇。シドニー五輪アメリカ代表の選考の際に名前が挙がり注目されたが選出されなかった。一度引退を決意するが、当時ボルチモア・オリオールズ傘下に所属していた息子ティム・レインズ・ジュニア(英語版)とのプレーを目指しにエクスポズで現役復帰。同年10月1日に息子がオリオールズでメジャーデビューし、ケン・グリフィー・シニア、ケン・グリフィー・ジュニア親子に次ぐ史上2組目の親子同時メジャーリーガーとなった。2日後の10月3日に父レインズがエクスポズからオリオールズに移籍し、シーズン終盤の数試合、親子同時出場が実現した。 翌に故郷フロリダのフロリダ・マーリンズで1年間プレーして現役引退。 現役引退後、はエクスポズ傘下アドバンスドA級のブリバードカウンティの監督に就任。からまでホワイトソックスのコーチを務め、には一塁ベースコーチとしてチームのワールドシリーズ優勝に貢献。はナショナルズ傘下のAAA級ハリスバーグの打撃コーチを務めた。からまでは、アメリカ独立リーグのアトランティックリーグに加盟するニューアーク・ベアーズの監督を務めた。 2009年終了時点でエクスポズ→ナショナルズの出塁(2440)、得点(947)、シングルヒット(1163)、三塁打(82)、四球(793)、盗塁(635)の球団記録保持者。背番号「30」はエクスポズの永久欠番となった。 にカナダ野球殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティム・レインズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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