翻訳と辞書
Words near each other
・ テオ・オロフ
・ テオ・ジェームズ
・ テオ・スネルデルス
・ テオ・テスカトル
・ テオ・デ・ラート
・ テオ・ファビ
・ テオ・ファン・ゴッホ
・ テオ・ファン・ゴッホ (映画監督)
・ テオ・ファン・ドゥースブルフ
・ テオ・ファン・ドースブルフ
テオ・ブルース
・ テオ・ボス
・ テオ・ミデルカンプ
・ テオ・メイヤー
・ テオ・ヤンセン
・ テオ・ヤンセン (サッカー選手)
・ テオ・ヤンセン (彫刻家)
・ テオ・ユルゲンスマン
・ テオ・ラトリフ
・ テオ・リンゲン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

テオ・ブルース : ウィキペディア日本語版
テオ・ブルース

トーマス・セオドア「テオ」・ブルースThomas Theodore ("Theo") Bruce〔資料によっては、名前をセオドア・ウィリアム「ビル」・ブルース(Theodore William "Bill" Bruce)としている。〕、 1923年7月28日2002年8月1日)は、オーストラリアの元陸上競技選手である。彼は、1948年に開催されたロンドンオリンピックの走幅跳で銀メダルを獲得した。
== 経歴 ==
ブルースはロンドンオリンピックのオーストラリア代表として、走幅跳と4x100mリレー走の2種目に出場した。21名の選手が出場した走幅跳では、予選上位の12名のみが決勝に進むことになっていた。ブルースは7メートル20センチを跳んで予選A組でアメリカ代表のハーブ・ダグラスに次いで2位につけ、全体でも4位となって決勝に挑んだ。決勝では、アメリカ代表のウィリー・スティールが当時のオリンピック記録を更新する7メートル82.5センチで金メダルを獲得し、ブルースは7メートル55.5センチで銀メダル獲得を果たした〔Athletics at the 1948 London Summer Games:Men's Long Jump 2011年4月17日閲覧。〕。
もう1種目の4x100mリレー走では、オーストラリア代表チームは予選2組で3位に終わり、決勝進出を逃している〔Athletics at the 1948 London Summer Games:Men's 4 × 100 metres Relay Round One 2011年4月17日閲覧。〕。
なお、走幅跳ではオーストラリアの国内選手権で1947年から1950年にかけて4連覇した実績がある〔Australian Athletics Result 2011年4月17日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオ・ブルース」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.