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テネシーワルツ : ウィキペディア日本語版
テネシーワルツ

テネシーワルツ」(''Tennessee Waltz'',''The Tennessee Waltz'')は、1948年に出版されたアメリカポピュラー/カントリー歌曲。1946年ピー・ウィー・キング(英語版)が作曲した曲に、レッド・スチュワート(英語版)が詞をつけ〔http://countrymusichalloffame.org/full-list-of-inductees/view/pee-wee-king Country Music Hall of Fame 5.13.2012〕、ゴールデン・ウエスト・カウボーイズ版が1948年1月に、カウボーイ・コパズ(英語版)版が1948年3月に出版され、いずれもヒットチャート上位を獲得した。1950年パティ・ペイジがカバーしたものがマルチミリオンセラーとなった。1952年1974年頃、日本大ヒットした〔Williams, Bill "Country Cross-Over to Pop Grows" ''Billboard'' 28 December 1974, Section 2, pp. 4, 46, page 46 〕。
歌詞は「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので恋人を紹介したら、その友達に恋人を盗まれてしまった」というもので、歌手の性別によって旧友をしめす代名詞がhimまたはherに代わる。
その人気により、1965年テネシー州はこの曲を公式に第4の州歌とした〔It was adopted by Senate Joint Resolution 9 of the 84th General Assembly.〕。
== 初期 ==
1946年、ピー・ウィー・キングおよび彼のバンドのゴールデン・ウエスト・カウボーイズがテネシー州ナッシュビルで『グランド・オール・オープリー』に出演するためリムジンで移動中、彼と歌手のレッド・スチュワートは共同で作曲を行なっていた。カーラジオからビル・モンローの新曲『ケンタッキー・ワルツ(''Kentucky Waltz'' )』が流れてきた。キングと他のミュージシャンたちは鼻歌でキングのテーマ曲『''No Name Waltz'' 』(名もなきワルツ、の意)を歌い、スチュワートはマッチ箱に歌詞を書いていった。翌日、キングとスチュワートは音楽出版事業者のフレッド・ローズに『テネシー・ワルツ』を聴かせると、ローズは歌詞を「''O the Tennessee waltz, O the Tennessee Waltz'' 」(おおテネシー・ワルツ、おおテネシー・ワルツ))から「''I remember the night and the Tennessee Waltz'' 」(あの夜、そしてテネシー・ワルツを忘れない)に変更した。キングとゴールデン・ウエスト・カウボーイズが『テネシー・ワルツ』をレコーディングできるようになるまで時間がかかったが、1947年12月2日、イリノイ州シカゴにあるRCAヴィクター・スタジオでようやくレコーディングすることができた。ゴールデン・ウエスト・カウボーイズ版が発売された直後、ゴールデン・ウエスト・カウボーイズの元ヴォーカリストのカウボーイ・コパズ版がキング・レコードから発売された。1948年春から夏にかけて、どちらも『ビルボード』誌のカントリー・チャートでヒットし、キングのゴールデン・ウエスト・カウボーイズ版は第3位、コパズ版は第6位を獲得した。
1950年終盤、パティ・ペイジがクリスマス曲『''Boogie Woogie Santa Claus'' 』のB面として『テネシー・ワルツ』をレコーディングし、マーキュリー・レコードから出版された。『ビルボード』誌の評論家であったジェリー・ウェクスラーがアースキン・ホーキンスによる新たなリズム・アンド・ブルース版をペイジのマネージャーのジャック・ラエルに紹介し、ペイジの父親が好んでいたカントリー・アンド・ウエスタン版としてペイジ自身が選曲したとされる。1950年11月、ペイジはニューヨークでのセッションでラエル指揮によるオーケストラと共に演奏した。ペイジのシングルはヴォーカルが三声で多重録音された。1950年11月10日、ペイジ版の『テネシー・ワルツ』は『ビルボード』誌のポップ・チャートにランクインし、12月30日以降9週連続第1位を 獲得して、計30週チャートにランクインし続けた。ペイジ版は当初『''Boogie Woogie Santa Claus'' 』のB面であったが、『テネシー・ワルツ』がA面となったためB面は『''Long Long Ago'' 』となった。ポップで活動していたペイジにとって、『テネシー・ワルツ』でカントリー・チャートにおいて第2位を獲得したのが彼女にとって最高記録となった〔


〕。
ペイジ版の成功により、その後出版されたキャピトル・レコードレス・ポールwithメアリー・フォード版が第6位、コロムビア・レコードジョー・スタフォード版が第7位を獲得するなどトップ10にランクインした。ポール版の『テネシー・ワルツ』は両A面であり、別面の『''Little Rock Getaway'' 』は第18位を獲得した。1950年11月、フォンテイン・シスターズにとって、ニューヨークにあるRCAヴィクター・スタジオでの『テネシー・ワルツ』が初の単独レコーディングとなり、トップ20にランクインした。またピー・ウィー・キング版が再発売され、カントリー・チャートで第6位を獲得した。
さらにデッカ・レコードガイ・ロンバードと彼のロイヤル・カナディアンズ版の他、イギリスではペトゥラ・クラーク版、日本では江利チエミ版が出版された。
1950年12月30日から1951年2月3日まで、ペイジ版、スタフォード版、ロンバード版、ポール/フォード版の総計が『キャッシュボックス』のチャートで第1位を獲得し続けた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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