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テムズ鉄工造船所()は、イギリスにあった造船会社。テムズ川とバウ運河(Bow Creek)の合流点に造船所と製鉄所を有した。本業は造船だったが、土木工事を始め船舶用エンジン、クレーン、電気製品、自動車も製造した〔Jim Lewis 1999, ''London's Lea Valley'', Phillimore, ISBN 1-86077-100-9〕。 == 歴史 == === 1837 - 1846 === 会社は1837年に造船工のトーマス・ディッチバーン(Thomas J.Ditchburn)と技術者で船舶設計技師のチャールズ・メア(Charles Mare)によってディッチバーン・アンド・メア造船所(Ditchburn and Mare Shipbuilding Company)としてデットフォード(Deptford)に設立された。造船所は火災で焼失し1838年に東インド・ドック(East India Dock Basin)とバウ運河(Bow Creek)の間のオーチャード・プレイス(Orchard Place)に移転、倒産した造船会社ウィリアム・アンド・ベンジャミン・ワリス(William and Benjamin Wallis)の敷地を取得した。 会社は数年のうちに3カ所で14エーカー(0.022平方マイル、0.057km2)以上の敷地面積を有するようになった。 造船所はその地域の鋼鉄船を建造した最初の造船所のうちのひとつとなった。50トンから100トンの小さい外輪船の共同建造に始まり、英仏海峡横断船の建造や1840年までには300トン以上の船舶を建造するまでになった。会社の初期の顧客はアイアン・スチームボート社(Iron Steamboat)とブラックウォール鉄道(Blackwall Railway Company)だった。後者のためにメテオール(Meteor)やプリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)など数隻の外輪船が建造され、ブルンスウィック・ワルフ(Brunswick Wharf)にある駅とグレーブセンド(Gravesend)の間で運航された。 またこの時代に、会社はイギリス海軍本部から数隻の軍艦を受注した。そのうちの1隻は最初の鉄製軍艦の1つであるリクルート(HMS Recruit)で、それは12門の砲を持つブリッグだった。 またP&O社の汽船アリエル(Ariel)とエリン(Erin)も建造した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テムズ鉄工造船所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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