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テリー・サンフォード
ジェイムズ・テリー・サンフォード(、1917年8月20日 - 1998年4月18日)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の政治家、教育者である。民主党員として、第65代ノースカロライナ州知事(1961年-1965年)、1970年代に2度(1972年、1976年)アメリカ合衆国大統領候補、アメリカ合衆国上院議員(1986年-1993年)を務めた。公共教育の強い推進者であり、州知事の時にはノースカロライナ州の学校や高等教育機関に対して多くの改革と新しいプログラムを提案し、教育予算を増額し、ノースカロライナ州基金を創設した。1969年から1985年はデューク大学学長だった。 サンフォードは若い時にイーグルスカウトまで昇り、1939年にノースカロライナ大学チャペルヒル校を卒業すると、連邦捜査局(FBI)のエージェントとなった。第二次世界大戦中ヨーロッパ戦線に参戦し、戦地昇進を受けた。戦後に文民の生活に戻ると、ノースカロライナ大学法学校に進学して卒業し、1940年代後半に法律実務を始め、間もなく政治に関わるようになった。その生涯を通じて民主党員であり、公民権と教育に関する進歩的な指導力で注目された。サンフォードに敵対する者はサンフォードを「増税路線」のリベラルだと批判したが、第二次世界大戦後の南部で主要な公人だとして記憶されている。 == 初期の経歴 == サンフォードは1917年にノースカロライナ州 ローリンバーグで生まれた。父はセシル・レロイ・サンフォード〔http://www.carolana.com/NC/Governors/tsanford.html〕、母はエリザベス・テリー(旧姓マーティン)であり、二人ともイングランド人の子孫だった。ボーイスカウトではローリンバーグの第20部隊でイーグルスカウトにまでなった。サンフォードは死ぬ少し前にジャーナリストのデイビッド・ガーゲンにボーイスカウトの経験について語り、「恐らく、それが戦争で私を救った。ボーイスカウトあるいは市民保全部隊に在籍した少年は森の中では何をしたらいいのか知っている。 ...ボーイスカウトで学んだことは私の人生全てで生き続けさせてくれた。何が最善であるかを決断する助けになった。」と語っていた。ボーイスカウト・アメリカはサンフォードを傑出したイーグルスカウト賞で表彰した。 サンフォードは1939年にノースカロライナ大学チャペルヒル校を卒業し、その後の2年間、連邦捜査局(FBI)の特別捜査官となった。1942年7月4日にマーガレット・ローズ・ナイトと結婚し、その後にテリー・ジュニアとエリザベスと名付けた2人の子供をもうけた。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍に兵卒として入隊し、後に少尉まで昇進した。第517パラシュート歩兵連隊と共にフランスにパラシュート降下し、その後のバルジの戦い(1944年12月-1945年1月)に参戦した。その勇敢さでブロンズスターメダル、負傷したことでパープルハート章を授与された。戦後の1946年、名誉退役した〔。1948年から1960年では、ノースカロライナ州軍第119歩兵連隊K中隊で、大尉の中隊長を務めていた。戦後、ノースカロライナ大学法学校で法学の学位を取得した。ノースカロライナ州民主党青年クラブ、現在ではノースカロライナ州青年民主党の会長を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テリー・サンフォード」の詳細全文を読む
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