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テルグ文字(-もじ)は、主にインドのアーンドラ・プラデーシュ州で話されているテルグ語を表記するための文字。まれにテルグー文字とも呼ばれる。書字システムの性質によりアブギダに分類される。古代インドのブラーフミー文字から派生した文字の1つであり、書字方向は他の派生文字(デーヴァナーガリーなど)と同じく左から右への横書きである。単語と単語の間は欧米諸言語のように分かち書きする。 == 歴史 == テルグ文字は、紀元前にインド北部で成立したブラーフミー文字が、 デカン高原南部(インド中部)において時が経つにつれ字形変化して成立したものである。また、通時的に西隣のカルナータカ州において使用されるカンナダ文字とほぼ同じ字形変化をしてきた文字であり、カンナダ文字との違いがはっきりと現れるようになったのは遅くて15世紀頃と比較的最近のことである。 紀元前にインド北部で成立したブラーフミー文字は、紀元後1世紀頃から次第に字形が変化していきなおかつ地方差が生じるようになり、4世紀-6世紀頃には南北で字形に著しい差ができるようになっていた。この時期のブラーフミー文字はインド全体で縦画の始筆部が強調されて筆記される傾向にあり、やにより支配されていた当時のインド中南部ではこの傾向が顕著に現れていた。当時記された史料としては、始筆部を太く四角く、ときには四角の箱型に書かれた字形のものが発見されている(これを箱型文字、などと呼ぶことがある)。 その後、インド全体で筆記用具の発達により草書体が発達するようになる。前期チャールキヤ朝期(6〜8世紀)には文字がやや曲線的に書かれはじめ(チャールキヤ文字)、これが現行のテルグ文字・カンナダ文字の源流である。さらに時代が下って10〜12世紀頃には文字全体が円くしかも一筆書きに近い字体に変化していった。この時期の字体は原カンナダ文字、あるいはテルグ・カンナダ文字などと呼ばれる。 インド中南部での、東西間での字体の差異は当初はわずかであり、むしろ時間的・通時的変化のほうが大きかった。しかし10世紀以降東西間での差が徐々に表れはじめ、遅くとも15世紀になると差がはっきり現れるようになったとされる。現在ではこの時期あたり以降の東の字体をテルグ文字、西の字体をカンナダ文字と呼称して区別している。 ただ字形が区別できるようになったとはいえ、テルグ文字・カンナダ文字双方とも、16世紀ごろに現在の字体に近いものになったままその後の大きな(通時的)変化はなくなったため、現在の字体において両者は多くの字母が酷似している。ここに、両者と、インド北方の代表的な文字であるデーヴァナーガリーおよびベンガル文字、南部のタミル文字についていくつかの字母を例にとって比較した表を記す。すべての字母についての比較は、ブラーフミー系文字#比較の項目を参照されたい。 上図は一例であるが、このようにカンナダ文字と似た字形(ときに la のような同形や ka のようなちがう形のものもあるが)が多い。おしなべて字形が円弧を描いたようなものであることが特徴的であり、北方のデーヴァナーガリーのような縦の直線が多い文字とは大いに異なることがわかる。また、南方のタミル文字やマラヤーラム文字なども曲線的な字形が多いが、これらは2〜4世紀からテルグ文字とは分化していったために、やはり字形は異なる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テルグ文字」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Telugu script 」があります。 スポンサード リンク
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