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テンジンショウグン(1990年4月14日 - )は日本の競走馬。1998年の日経賞を12頭立て12番人気で制し、馬番連勝式と枠番連勝式で中央競馬の重賞史上最高の払戻金額を記録した。その引退後は乗馬に転用され、「新志(しんし)」と改名されて警視庁騎馬隊に入隊した。 半兄に1991年皐月賞2着のシャコーグレイド(父ミスターシービー)がいる。 == 経歴 == 1990年4月14日、北海道浦河町の川島牧場に生まれる。出生当初は兄・シャコーグレイドよりも高く評価された馬であった〔『優駿』1998年5月号、p.148〕。 競走年齢の3歳に達し、茨城県美浦トレーニングセンターの矢野照正厩舎へ入った後、1992年8月16日に新潟開催の新馬戦でデビュー。江田照男を鞍上に、初戦で勝利を挙げた。その後休養し、翌年初頭に重賞の京成杯で復帰したが、10着と大敗。以後しばらく条件馬として過ごした。 5歳となった1994年から徐々に勝利を重ね、同年10月9日の準オープン戦・オクトーバーステークスでは、東京競馬場・芝2300mのコースレコードで勝利し、オープンクラスに昇格した。しかし以後の戦績は芳しくなく、7歳時(1996年)に目黒記念4着、日経賞3着、メトロポリタンステークス(オープン特別)2着と好走するも、勝利には至らなかった。8歳(1997年)に入ると5着以内にも入れない成績が続き、5月17日に出走した武蔵野ステークスの11着をもって障害転向が決まった。 障害では3戦目に勝ち上がり、9歳(1998年)となって臨んだ障害400万下条件戦も連勝したが、重賞の東京障害特別(春)と阪神障害ステークス(春)では、それぞれ落馬競走中止、9着と振るわなかった。以降も障害競走へ出走を続ける予定となっていたが、3月から開催が始まる中山競馬場の障害コースが馬に合わないと判断され〔『優駿』1998年5月号、p.70〕、いったん平地競走に復帰、前年まで2年連続で出走していた日経賞に臨んだ。 なお、この競走には同じく障害競走で活躍していたアワパラゴンも出走していた。テンジンショウグンへの評価は低く、単勝355.7倍・支持率0.2%の最低人気であったが、後方2番手の追走から最後の直線に入ると、前を行く1番人気のローゼンカバリーを一気に交わして勝利を挙げた〔。9歳馬による重賞勝利は史上4頭目の最高齢タイ記録であった〔『優駿』1998年5月号、p.151〕。また、2着に入ったシグナスヒーローも7番人気と人気薄であったため、各種払戻金額も重賞の記録となった(下記括弧内はいずれも当時)〔。 *馬番連勝式 - 21万3370円(第1位) *枠番連勝式 - 5万9000円(第1位) *単勝式 - 3万5570円(第3位) 騎乗した江田は「(賞金が出る)8着以上に来るように」と指示されていたといい、「僕自身が一番驚きました」と語っている〔。 その後は障害へ戻る予定を変更し、GI競走初出走となる天皇賞(春)に臨んだが、11着と大敗。その後も平地競走で3戦出走するもいずれも二桁着順となり、同年11月のアルゼンチン共和国杯で最下位となったのを最後に競走生活から退いた。 引退後は警視庁の騎馬隊に入り、新志という名で儀仗警備や交通安全教育などに活用された。2012年8月をもってその役目も終え、以後は北海道日高郡新ひだか町にある馬の養老牧場・ローリングエッグスクラブステーブルで余生を送っている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テンジンショウグン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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