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ディアマンロケット () とはフランスのミサイル開発管理機関 (SEREB) とフランス国立宇宙研究センター (CNES) が開発した人工衛星打ち上げ用ロケットである。名称はフランス語でダイヤモンドを意味する。 == 概要 == 1958年、前年にソビエト連邦がスプートニク1号を打ち上げたことを受け、シャルル・ド・ゴール大統領(当時)はフランスが独自に核抑止力及び大陸間弾道ミサイル (ICBM) を見据えた人工衛星打ち上げ能力を保持することを決定した。 1959年、SEREBは宝石 (Pierres Précieuses) 計画と名付けられた技術実証計画を開始した。この計画においてSEREBはアゲート、トパーズ、エムロード、リュビ、サフィールといった弾道飛行ロケットを用いて飛翔試験を行い、低軌道に50kgの人工衛星を投入するロケットの開発が可能であるとの報告書を翌1960年末にフランス国防省へ提出した。 宇宙開発の推進方法については広範な議論が行われ、1961年12月19日に国家の宇宙機関としてCNESが発足した。CNESは1962年にフランス国防省装備庁 (DMA) と合意を形成し、3年後の打ち上げを目指してディアマンの開発が開始された。ロケット及び衛星の研究開発はDMAが行い、CNESは研究開発資金の提供を行った。SEREBは計画の主契約者であった。 開発中には少なくとも38機の弾道飛行ロケットによる試験が行われた。ディアマンAは予定通り3年後の1965年11月26日にアマギール射場からフランス初の人工衛星アステリックスを打ち上げ、この成功によってフランスは人工衛星を独自に打ち上げた3番目の国となった。 その後、1967年にアマギール射場がアルジェリア政府との協定の期限切れによって使用継続が困難となり、ギアナ宇宙センターへと移行した。ディアマンは欧州ロケット開発機構 (ELDO) の開発していたヨーロッパの失敗を背景として1974年まで運用され、フランスが主導的な役割を果たすアリアン計画へと引き継がれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディアマンロケット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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