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ディッキー・アトウッド : ウィキペディア日本語版 | リチャード・アトウッド
リチャード・"ディッキー"・アトウッド (''Richard "Dickie" Attwood'' 、1940年4月4日 - )は、イングランドのウルヴァーハンプトン出身の元レーシングドライバーである。アトウッドは、BRM、ロータス、クーパーからF1に参戦した。F1キャリアでは、表彰台に1度立ち、11ポイントを獲得した。アトウッドはスポーツカーレースでも成功を収め、ポルシェ・917をドライブして1970年のル・マン24時間レースで勝利を挙げた。 == 初期の経歴 ==
アトウッドは見習いとしてスポーツカーメーカーのジャガーに入った。1960年にはトライアンフ・TR3でレースを始めた。1961年にアトウッドはミッドランズレーシングパートナーシップ (MRP) チームに加入してクラブレースのフォーミュラ・ジュニア (FJ) レースに参戦を開始し、1962年の終わりまでこれを続けた。1963年にこのチームは国際的な舞台へと活動の場を広げると、アトウッドはモナコグランプリのFJのサポートレースにローラ・MK5で勝利し注目を浴びた。シーズンを通じての他の活躍もあり、アトウッドはGrovewood Award(自動車のライターの投票により選出される、イギリス人の有望な若手に与えられる賞)を獲得した。
この成功を背景に、MRPは1964年にF2クラスにステップアップした。アトウッドはウィーンで優勝し、ポーグランプリ、アイフェルレンネン、アルビグランプリで2位に入った。この当時はトップレベルのグランプリドライバーもf2に並行参戦していた。ポーでは、実にフルワークスのロータスに乗るF1世界チャンピオンのジム・クラークに負けただけだった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・アトウッド」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Richard Attwood 」があります。
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